2026/03/09
【教養学部】“小説とは何か?”を問い続ける
教養学部ヨーロッパ・アメリカ文化専修課程/髙畑研究室
2026/03/09
教養学部ヨーロッパ・アメリカ文化専修課程/髙畑研究室
本学教養学部の髙畑悠介准教授は、「小説は、不思議な特徴をもつ芸術ジャンル」と語ります。そんな髙畑准教授が取り組む研究の目的は、小説の“作り”を明らかにすること。19世紀~20世紀初頭のイギリスの文学作品や作家を中心に成果をあげてきた研究の意義や内容について伺いました。
私は主に19世紀から20世紀初頭のイギリス小説に関する研究を専門としています。
現在、文学研究というと、歴史・社会・政治・文化などを切り口にしたアプローチが主流です。例えば19世紀から20世紀初頭のイギリスは、社会階級、女性の地位、帝国主義などの複雑な問題群が焦点となった時代。当時書かれた小説を通じて、そのような社会的な問題を論じる研究が多く見られます。しかし、それらの研究スタイルでは、「それって本当に文学研究の領域で考える必要のある問題なの?」という疑問にうまく答えられません。
私が着目しているのは作品や作家そのもの。
研究者としての興味は、書かれている内容ではなく、その作品が小説として、どのような構成をもち、どのような仕組みで成り立っているのかを解き明かすところにあります。

具体的には、物語の骨組みや構造、語りの挙動やトーン、キャラクターのつくり方などを論理的に考察していきます。
作者が自分の世界観やビジョンを小説という形式に落とし込む際、作品にはそれぞれの設計・構成において特有の個性が表れるもの。そこで小説の“作り(構造や仕組み)”に目を向けることで、文学的な特性を明らかにしようとしているのです。
小説というジャンルは、とても不思議な存在だといえます。基本的には何を書いてもよく、表現の自由度が高い一方で、諸々の暗黙の制約も存在するからです。
例えば、ごく素朴な例ですが、ただ幸せな恋愛を物語として描くだけでは文学作品としては面白くありません。文学的には、恋愛に伴う葛藤や摩擦、揺らぎ等を描きたいところ。それ故、純文学(娯楽性より芸術性を重視する文学)作品では、恋愛を扱う場合も問題含みの状況が設定されたり、悲観的・懐疑的な取り上げ方であったりするケースが多いです。
つまり、面白い小説を成立させるためには「幸せな恋愛のようなありきたりなテーマを避ける」という暗黙の制約があるわけです。これはあえてごく身近でイメージしやすい一例を挙げたにすぎませんが、こうした制約を多く含みつつ、同時に果てしなく自由でもある近代小説という表現機構の原理の解明を目指して研究を進めています。

これまで19世紀末から20世紀初頭のイギリスで活躍したジョゼフ・コンラッドやD・H・ロレンスといった作家の研究を行ってきました。
小説では、登場人物とは異なる匿名の語り手によってストーリーが語られる三人称小説が二大派閥の一角。コンラッドの研究では、この三人称視点を採用した作品群にフォーカスし、作品世界のある種の限界への作者自身の鋭い自意識がそれぞれの作品構成の根幹部分に表れていることを明らかにしました。このような分析を通じて、コンラッド文学全体の本質を考察していったのです。
では、小説の“作り”に焦点を当てる研究は、社会にどう役立つのでしょうか。
正直なところ、現実社会に直接向き合う研究ではないため、この問いに答えるのは簡単ではありません。しかし、確実にいえるのは、研究の成果が一般読者が作品を読む際の助けになるということです。

純文学作品は、芸術作品として大きな価値があります。作品としての審美的な質が高いのはもちろん、作品に触れることで人間や社会、歴史への洞察も深まるでしょう。
とはいえ、現在では純文学を読む人は少数派です。奥行きのある難解な内容を理解・賞味するのに難儀したり、純文学特有の複雑な表現戦略にとまどったりするケースが多いのではないでしょうか。
しかし、研究によって作品の“作り”が明らかになれば、先人たちが残した素晴らしい文学作品を鑑賞する手助けになるのは間違いありません。そのように一般読者の理解を支えることが、私の研究が社会に提供できる価値だと考えています。
今後も、さまざまな作家の作品を分析しながら、体系的に研究を進め、近代小説という表現機構の原理を明らかにしていくつもりです。研究が実を結べば「小説とは何か?」という根源的な疑問を解き明かす手がかりが得られるかもしれません。