2024/07/18
【教養学部】激動の中国近現代における法制度の移り変わりを捉える
教養学部 哲学歴史専修/久保研究室
2024/07/18
教養学部 哲学歴史専修/久保研究室
19~20世紀の中国における法と裁判の歴史を研究する本学教養学部の久保茉莉子准教授。対外関係も国内情勢もめまぐるしく変化する中で、法律がどのように成立し、どう運用されたのか? そのような事実に光を当てる取り組みを続けています。そんな研究の意義について、久保准教授にお話を伺いました。
専門は、中国の近現代における法制史。法制史とは、法律の歴史や歴史上の法律のあり方を考察する研究分野です。もちろん中国にも、日本と同様に、憲法や民法、行政法など、様々な法律が存在します。その中で、私が注目しているのは、刑罰と犯罪について規定する刑法を中心とした法律です。
なお、中国の近現代といっても、研究テーマや研究者によって見解が異なるため、一概に断定することは困難ですが、私の研究では、中国(清朝)と西洋諸国との関係が密接になっていく19世紀半ばから、中華民国期を経て、中華人民共和国が成立する20世紀半ば頃までを対象にしています。
この間、中国では、「清朝」「中華民国」そして「中華人民共和国」と国家のカタチが大きく変わっていきます。そのように歴史が動いていく中で、法律の何が変わり、何が変わらなかったのかを検証していくことが、研究の要諦です。
例えば、1912年に成立した中華民国では、北京政府期を経て、1928年以降、中国国民党政権の時期が続きます。しかし第二次世界大戦後の内戦で、中国国民党は中国共産党に敗北し、台湾に移動。1949年以降の台湾(中華民国)では国民党による一党独裁体制が形成されていきます。しかし1970年代の国際情勢の変化を背景に、1980年代以降、台湾の民主化が進みます。民主化の基盤となる憲法は、1947年に公布された中華民国憲法がベースになっています。
つまり「独裁」イメージの強い国民党政権の下で起草された法律の内容が、民主化以降の台湾にも受け継がれているわけ。このような法律が、いかにして誕生し、運用されてきたのかを明らかにすることは、民主主義の意義を考える上でも役に立つと考えています。つまり、法律の変遷を捉えることは、私たち日本人にとっても「法律とは何か?」ということを考えるきっかけを与えてくれることにもなるのです。
さらに、この研究の成果が、中国という国を正しく理解することにつながることはいうまでもありません。
法律や制度の成り立ちと運用を明らかにするには、日本と中国を行き来する必要があります。
例えば、検察制度について研究するとしましょう。中国大陸や台湾には、比較的大きな権限を持つ検察官が存在してきましたが、このことは世界的にみて当たり前のこととはいえません。例えば英国では検察官はあまり存在感がないものとされています。
ここで1つの仮説が立てられます。それは「検察官がそれぞれの国の中で重要な役割を果たしてきたからこそ、現在でも検察制度が存在する」というもの。そして、研究では、この仮説が正しいのかを明らかにしていきます。
まずは中国における検察制度がどのようものかを調べていきます。これは日本で入手できる資料で対応可能です。
続いて、検察制度がどう作られていったのか、その過程を調査。こちらも国内の文書館や図書館で閲覧可能な、当時の中国の新聞や雑誌に掲載された法学者たちの議論などを見ていきます。
この後の調査は中国に行かなければ行うことができません。なぜなら検察制度が実際にどのように運用されたのかは、現地でしか見ることができない裁判文書を参照する必要があるからです。
さて、もちろん中国にも、自国の法制史研究に取り組む研究者は数多く存在します。そんな中、私のような日本人が研究に携わる意義は大きいと考えています。それは、第三者的な視点から見えることがあるから。
例えば、中華人民共和国刑法や中華民国刑法には、検察官ではなく被害者自らが刑事事件の原告となって被告を訴える「自訴制度」というものがあります。刑事裁判では必ず検察を通す必要がある日本からみるととてもユニークな制度ですが、中国の人にとっては当たり前すぎて、そのことを見逃してしまうこともあり得るのです。
現在は、日中戦争が始まった後から、中華人民共和国が成立する1949年までの刑法や刑事裁判に関する研究に取り組んでいます。研究の中期的な目標は、この研究成果をまとめた専門書を出すことです。
長期的な目標は、刑法以外の法律も含めた中国法制史を、一般の方向けの書籍にまとめること。一般の方にも、きちんと中国のことを理解してもらえるきっかけを与えられるような成果を残したいと思います。