2025/11/28
【経済学部】土地をめぐる民法のルールから社会課題を見つめ直す
経済学部 メジャー:法と公共政策/江口研究室
2025/11/28
経済学部 メジャー:法と公共政策/江口研究室
土地を所有する人、利用する人、そして担保権をもつ人――1つの土地には、多様な人の権利が重なり、さまざまな思惑が交差します。本学経済学部の江口幸治准教授は、個人の生活に関する基本的な法律である「民法」の中でも、権利が複雑に絡みあう「土地」に関する規制やルールに注目して研究を続けています。理論だけでなく、現場で人々の声を聞き、社会の実態から法のあり方を問い直す――そんな研究に込めた思いを伺いました。
民法は、売買や賃貸、結婚や離婚、相続など、私たちの生活を支える法律です。私の研究は、その中でも土地に関する法制度を中心にしたもの。この研究に取り組む理由は、土地の問題が社会や経済の基盤そのものに深く関わるからです。
法学では、法律の条文を理論的に読み解く「解釈論」が主流ですが、私は現場に出て、社会の中で法律がどのように機能しているのかを分析する「法社会学」の立場から研究を進めています。
分析はデータに基づき客観的に行いますが、データを収集するために実際の生活者の声を聴くこともしばしば。例えば、田んぼや畑をもつ農家や、工場用地などを所有する事業者に会ってインタビューを行い、土地に関する法律がどう機能しているかを確かめます。

具体的には、長靴を履いて畑に立ち、農家の人の話を聞いていく。そうやって現場の実態を丁寧に拾い上げながら、法律が現実にどんな力をもち、どんな課題を抱えているのかを明らかにしていくのです。
この研究領域に関心を抱いたのは、大学院時代でした。バブル経済の最盛期で、地上げなどが社会問題になり、「土地は誰のものなのか」「土地の利益は誰が得るべきか」が盛んに議論されていた頃です。
土地には、所有する権利、利用する権利、そして債権者が債務の返済を確保する権利(担保権)といった複数の権利が重なっていて、それぞれの権利者が利益を得ようとします。いずれかの権利が強まれば、他の権利が弱まる――そこに生じる利益の調整こそ、民法が果たすべき役割の1つです。
しかし、現実には様々な問題が生じていたわけです。そのような状況を目の当たりにしたことがこの研究に進むきっかけになりました。
これまでの研究の中で特に印象に残っているのが、1990年代後半に起こった「所沢ダイオキシン事件」に関するものです。
「所沢ダイオキシン事件」とは、「埼玉県所沢市周辺で収穫された農作物に、猛毒であるダイオキシンが高濃度で含まれている」というテレビ報道をきっかけに、この地域の野菜の販売が取りやめられ、価格が下落した問題。ダイオキシンは低い燃焼温度でゴミを焼却すると発生しますが、その要因の1つに土地制度や相続制度、および税制の構造的な問題があることを研究で明らかにしました。
当時は金銭で納付することが原則だった相続税(亡くなった親などから土地やお金などの財産を受け継いだ場合にかかる税金)を支払えずに雑木林を手放す農家が多く、その土地を業者が買い取って廃棄物焼却施設を建設したケースが多く見られました。これらの施設から排出されたダイオキシンが、地域環境に悪影響を及ぼしていたのです。
つまり、所沢のダイオキシン問題は、表面的には環境汚染の問題でありながら、実際には土地の所有構造や高額な相続税という社会経済的な要因が複雑に絡み合った問題でした。
その後、相続税を、現金以外の財産で納める『物納』も可能となりましたが、このような法制度と現実の社会とのズレが、地域に与える影響を明らかにし、現実に即した制度のあり方を模索することが研究の目的の1つです。

現在は「所有者不明土地」の問題に注目しています。日本では、様々な要因で持ち主がわからなくなった土地が増えており、その総面積は九州の広さに匹敵するほどです。
農地の相続放棄や都市近郊の空き地の増加など、その背景はさまざまですが、放置すれば、地域の発展や防災にも深刻な影響を及ぼします。
この課題を解決するためにも、まずは実態の把握が必要です。そこで今後地域農家や企業などへのヒアリングを進めていく考えです。
私にとっての研究は、社会の声に耳を傾け、人の生活や心の動きを理解し、それを理論として整理し、社会に還元していく営みです。
だからといって、必ずしも政策提言や法改正に直結させることを目的とはしていません。それよりも、市民の皆さんに、法律が社会に及ぼす影響を知ってもらうことが世の中をよくする第一歩だと考えています。市民が法制度の背景や問題点を理解すれば、社会全体が少しずつ変わっていく。そのような研究成果を社会に伝えることが、私の重要な役割だと思っています。