前肢の起源に迫る:胸ヒレ誕生の鍵はHoxBクラスターの進化 ―ゼブラフィッシュの遺伝子欠損により胸ヒレが完全消失、 長年の謎に分子レベルの手がかり―(大学院理工学研究科 川村哲規准教授)
2025/11/28
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ポイント
- HoxBクラスター遺伝子の欠失で胸ヒレが完全に消失することを発見。
- 胸ヒレ形成開始遺伝子tbx5aが発現できないことを確認。
- HoxBクラスターが胸ヒレ形成位置の指定に関与することを解明。
- 前肢起源の謎にHox遺伝子機能拡張が関与する可能性を提示。

太古に誕生した原始的な脊椎動物には、胸ヒレに相当する構造はまだ存在していませんでした。その後の進化の過程で、脊椎動物は新たに左右対の胸ヒレを獲得し、これがやがて四肢動物の前肢(腕や翼など)へと進化しました。本研究では、この胸ヒレ誕生の分子基盤として、HoxBクラスター遺伝子群の機能拡張が関与した可能性を明らかにしました。
概要
脊椎動物は、どのようにして“前肢”の起源となる胸ヒレを獲得したのか。その進化の仕組みは長年、謎に包まれてきました。埼玉大学大学院理工学研究科・生体制御学プログラムの川村哲規 准教授、同大学大学院生の菊地守道さん(2020年度博士前期課程修了)、藤井蓮花さん(博士前期課程2年在籍)、小林大貴さん(2022年度博士前期課程修了)を中心とした研究グループは、小型魚ゼブラフィッシュを用いた解析により、この長年の問に迫りました。
研究グループは、動物発生を司る中心的な遺伝子群であるHox遺伝子群に注目しました。その中でも、HoxBクラスター由来のhoxba・hoxbb遺伝子を同時欠失させると胸ヒレが完全に形成されないことを発見しました。さらに、胸ヒレ形成の開始に必要なtbx5a遺伝子が発現しないことも確認され、HoxBクラスターが「胸ヒレをつくる位置」を指定する役割を担っていることが明らかになりました。
本研究成果は、前肢の起源解明に向けた新たな分子レベルの手がかりを提示するものであり、2025年11月21日に国際生命科学誌『eLife』にオンライン版で公開されました。
論文情報
| 掲載誌 | eLife |
|---|---|
| 論文名 | HoxB-derived hoxba and hoxbb clusters are essential for the anterior-posterior positioning of zebrafish pectoral fins |
| 著者名 |
Morimichi Kikuchi, Renka Fujii, Daiki Kobayashi, Yuki Kawabe, Haruna Kanno, Sohju Toyama, Farah Tawakkal, Kazuya Yamada, Akinori Kawamura. |
| DOI | 10.7554/eLife.105889 |
| URL | https://doi.org/10.7554/eLife.105889 |
用語解説
■ Hox(ホックス)遺伝子
生物の体を頭から尾にかけてどのように区切るかを決める「設計図上の座標軸」を与える遺伝子群。昆虫からヒトまでほとんどの動物が共通して持ち、体の位置情報(どこにどんな器官を作るか)を決定する。脊椎動物では、HoxA・HoxB・HoxC・HoxD の4つの「Hoxクラスター」と呼ばれるまとまりを形成しており、それぞれが体の前後軸に沿った器官の配置を制御する。
■ HoxBクラスター
脊椎動物の4つのHoxクラスターのうちのひとつで、主に体の中~前方の位置情報を指定する。本研究では、HoxBクラスター由来の2つの遺伝子群(hoxba、hoxbb)を同時に欠失させると、ゼブラフィッシュで胸ヒレが完全に消失することが判明した。これにより、HoxBクラスターが「胸ヒレを形成する位置」を決める重要な因子であることが示された。
■ クラスター(cluster)
遺伝子がゲノム上でまとまって並んでいる構造のこと。
Hox遺伝子のように、機能的に関連する複数の遺伝子が一列に配置されていることが多い。
クラスター構造によって、複数の遺伝子が同調的に発現(オン/オフ)し、体の構造形成を正確に制御できる。
■ 胸ヒレ(pectoral fin)
魚類の体の左右に対をなして生じるヒレで、進化的には四肢動物の「前肢」に相当する。
脊椎動物が水中から陸上へ進出する過程で、胸ヒレが変化して前肢(腕や翼など)へと進化したと考えられている。
胸ヒレの出現は「四肢の起源」に直結する大進化イベントである。
■ tbx5a 遺伝子
胸ヒレや前肢の形成を開始するスイッチとなる転写因子遺伝子。
発生初期にこの遺伝子が発現すると、胸ヒレの芽(ヒレ芽、fin bud)が形成される。
本研究では、HoxBクラスターを欠失させると tbx5a の発現が起こらないことが明らかになり、HoxB が胸ヒレ形成の開始位置を決めることが示唆された。
■ 全ゲノム重複(whole-genome duplication)
進化の過程で、生物の持つすべての遺伝子(ゲノム)が一度に複製される現象。
脊椎動物の祖先では、約5億年前に2回の全ゲノム重複(1R、2R)が起きたとされる。
その結果、Hoxクラスターが1組から4組に増え、動物の体の構造の多様化と複雑化が進んだと考えられている。
■ ゼブラフィッシュ(zebrafish)
学名 Danio rerio。体長3〜4cmの小型淡水熱帯魚で、透明な胚をもつため発生過程を顕微鏡下で直接観察できる。ヒトを含む脊椎動物と多くの共通遺伝子をもつため、発生・遺伝・疾患研究に広く使われるモデル生物である。
■ Hox遺伝子の機能拡張(gene co-option / neofunctionalization)
もともと別の発生過程で働いていた遺伝子が、新たな器官や構造の形成に利用されるようになる現象。本研究では、HoxBクラスターの一部の遺伝子が、進化の過程で胸ヒレ形成の位置決め機能を新たに獲得した可能性を示唆している。
