LET’S DANCE! ダンスから見るアート、生きるための美学
グローバル、文化
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外山 紀久子

教養学部教養学科 哲学歴史専修過程 
教授(美学・芸術論)

経 歴
1980 年 東京大学文学部卒
1989年 東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学
1993年 博士(文学)学位取得
1988年 ニューヨーク大学大学院 パフォーマンス研究科修士課程修了
1992年 ニューヨーク大学大学院 美術研究所修士課程退学
1992年 東京大学文学部 助手
1993年 山口大学人文学部 専任講師
1995年 山口大学人文学部 助教授
2001年 埼玉大学教養学部 助教授
2003年 埼玉大学教養学部 教授

著 書
『帰宅しない放蕩娘:
アメリカ舞踊におけるモダニズム・ポストモダニズム』
(勁草書房、1999年)

ポストモダンダンスの脱力力? 〜美学が幸福論に連なる地平へ〜


 主な研究領域は1960年代前後、いわゆる「現代アート」成立期のアメリカを中心として、美術と舞踊の間を行き来しています。それらの中間領域を「身体性」を軸に右往左往している、と言った方が正確かもしれません。この頃から、伝統的な諸ジャンルの境界が揺らいで、絵画でも彫刻でもない無加工の物体が作品になったり、画家がパフォーマンスをしたり、ダンサーが身体をオブジェとして扱ったり、相当訳が分からなくなっていきます(授業でもみんな混乱します)。

 最近は主として、ポストモダンダンス(とくに「自己表現」に代わるその「自己変革/自己放棄」の術としての側面)、現代アートのなかに生き延びる古代的なもの(ポストモダン・ネオプレモダニズム--舌噛みそうですね)、また環境調整術
		
としてのアートといったテーマを同時並行的に渉猟しています。美学が哲学の一分野として誕生し、「芸術」という制度が確立していった過程で抜け落ちてしまったもの、それをさまざまな形で復活しようとする動きに興味があって、分野を問わず(美術館や劇場のような芸術文化施設だけでなく、その外部--街路や森や家のなかで)それらに引き寄せられている感じです。
 なかでも、近代の主体モデルには適合しない「子ども」や「老人」の視点から、「生存学」「死生学」「よく生きるための技術」の現代における再構築に美学や芸術論はどのように資することができるのか、という課題に取り組みかけているところです。「身体という自然」に再び根を下ろして生きることの意味を考え、なるべく自分でも少しずつでも実践し、3.11以後の社会に向けてその成果を発信することを目指しています。

PROCESS

背景

 学生時代はギリシャの古代哲学(プラトン)から、20世紀の舞踊美学、現代美術へ移るという落ち着きのなさ。さらに、ハイ・アートを鑑賞する受容者の立場ではなく自ら携わる「草アート」「限界芸術」、養生法ないしセラピーとしてのダンスといった一段と周縁的な活動に関心がシフトしてしまい、呆然としていました。
転換

 国内外の学会で「舞踊の脱近代」「生活術復権」「ネオプレモダン」「掃除ポイエーシス」等々、マージナルな視座からのアプローチを破れかぶれで発表しているうちに、自分の関心と研究をつなぐ道筋がおぼろに見えてきました。特に2011年に彩の国さいたま芸術劇場で開催された舞踊学会大会、2012年のベルリンでの国際シンポジウムを通じて、生存学・死生学としての拡大舞踊研究を模索する機会が与えられたことは大きかったです。

点火


 震災と原発危機:生きることの具体性から遊離し、中立で透明なエージェントを詐称する専門家の「知」が際限なく量産する言葉の空しさと危うさを思い知らされました。
 以来、公私にわたって足掻き続けています。

迷走


 フーコーやシュスターマンの身体感性論、アジアの身体技法・行法・修養論、シャーマニズム、芸能史(特に能楽論)、欧米の身体療法等々の関連するテーマの渦巻きに、元々無いに等しい方向感覚を喪失し、微弱な方法論、全然足りない時間、生来の逃避癖に悩む日々。

展望


 いつでもどこでも迷子状態、周回遅れどころではない、情けない研究者人生ですが、ポストモダンダンスの一人パクストンが言うようにもし「方向感覚喪失のメリット」があるとすれば、そういうダメな自分を活かす?研究を考えよう!と思うほかありません。
 さしあたり、今夏参加予定のポーランドでの国際美学会議や来期埼玉で開催予定の国際シンポジウム等によってドイツ、アメリカ、イギリス、日本の研究者とのネットワークを構築し、シュスターマンの翻訳プロジェクトを手がけるといった本筋の研究と同時に、ハルプリンの「星のダンス(土地の浄化と平和を祈るコミュニティ・ダンス)」を日本で実現するためのお手伝いをする等、アカデミアの外での活動に貢献できるようになることを目指します。


 舞踊は諸芸術のなかでは比較的マイナーな地位に甘んじてきました。特に西洋近代に成立した「美学」やその後の芸術学の、芸術についてシリアスな言説を紡ぎ出す世界では、文学・音楽・美術等と比べると「遅れてきた末の妹」のような印象です。今でも半分、娯楽、社交、気晴らし、エンターテイメント、芸能、体育の分野に属し、昔から権力によって規制の対象になったり、女子供(&民衆や「未開人」)の領分としてやや軽く見られたりしてきました。
 ところがその一方で、太古、舞踊こそあらゆる芸術の母であったのだとする見解も示されています。


「踊ることのできる神しか信じない」(ニーチェ)--生の根源に触れ、宇宙の運動にも通ずる何かが舞踊にはあるのかもしれません。(昨今の日本でも、「風営法」で禁じられたり、武道と並んで必修科目になったり、「ダンスのチカラ」が引き起こす動揺は健在?)


 第63回舞踊学会大会は「ダンスの拡張/ハルプリン以後」というテーマで彩の国さいたま芸術劇場で開催され、実行委員長を務めました。アナ・ハルプリンは芸術舞踊の枠組みを外した1960年代アメリカの反逆の舞踊=ポストモダンダンスにもインスピレーションを与えた伝説的な存在です。本大会ではハルプリンに学びつつ、独自のソーマティクス(身体療法)を実践するジェイミー・マヒュー氏を招いてその一端を紹介しました。埼玉大学でもワークショップを行い、「すべての人がダンサー」、呼吸や静止の状態でさえダンスなのだ、という「拡大ダンス」の思想を学生たちと体験する機会を得ました。

 ジェイミーさんのふだんのワークショップは北カリフォルニアのワイルドな自然のなかで行われます。大洋、砂浜、岩、木々をわたる風、光--その自然にじかに触れて、自分の声、自分の身体を取り戻すプロセスを味わうのです。

▲ 「風営法改正を目指して10万人を目標とした署名運動」が、2012年5月29日にスタートしました。

▲ ヒンドゥー教のシヴァ神の別名はナタラージャ(踊りの王)。

▲ ジェイミー・マヒュー氏を招いて行われた、彩の国さいたま芸術劇場でのワークショップ風景

▲ 北カリフォルニアでのワークショップ


 ポストモダンダンスの歴史を振り返ると、ハルプリンと並ぶその先導者であったマース・カニンガムのパートナーのジョン・ケージ、ロバート・ラウシェンバーグを初め、ダンス以外のフィールドとの相互交流が目につきます。バレエやモダンダンスといった舞踊のテクニック、ダンサーとして

の特殊な訓練や素質を問わない、当時の「デモクラシーの身体」がそこに出現していたのでした。


ポストモダンダンスの中には、禅はもとより、ヨガや太極拳、合気道のような、アジア起源の身体技法や瞑想法に興味をもつ人々が多々見られました。ミャンマーのマハーシー瞑想センターで私が触れた「ヴィパッサナー瞑想」も、自分の身体が発する微細な感覚を内側から意識することで、受容力に富んだ柔軟な心身の態勢を整えるのに有効な方法です。


 御供秀彦さんという方のステッカー・アートのサイトで見つけました。ビートニクの詩人ファーリンゲッティのことばだそうですが、研究テーマにぴったり?なのでお借りしました。
 荒ぶる心を平にするダウナー系の力と同時に、不埒に燃え上がり旧秩序を解体するアッパー系の力--古神道の「タマシズメ」と「タマフリ」による鎮魂の術、とも勝手にリンクさせて、ダンスがもたらすものの可能性を考えています。

▲ ポストモダンダンスの拠点となったジャドソン記念教会(ニューヨーク)

▲ FUCK ART, Let's DANCE(アート?けっ!んなもんいいから、踊ろう)

▲ ジャドソン・ダンス・シアターをめぐる流れ

▲ ヤンゴン(ミャンマー)のマハーシー瞑想センター

研究者一覧