伊藤 孝 国際石油大企業の史的分析
社会、経済、経営、グローバル、産業、エネルギー、資源
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伊藤 孝
経済学部 教授

経歴
1982年 北海道大学大学院経済学研究科博士課程単位取得
     同年   埼玉大学経済学部に着任
2000年 博士(経済学,北海道大学)
       現在   埼玉大学経済学部教授

著書 
『ニュージャージー・スタンダード石油会社の史的研究−1920年代初頭から60年
代末まで』北海道大学図書刊行会:2004年

エクソンモービル社の研究と現代大企業の解明

〜エクソンの歴史が物語る、グローバル大企業とは?〜


 アメリカの石油大企業エクソン社(1999年末以降の名称はエクソンモービル社)は、石油産業が19世紀半ばにアメリカで誕生した後、比較的短期間でアメリカと世界の石油産業界の最大企業となり、今日までの1世紀を遥かに超える期間、その地位を維持しています。他の主要な産業・企業にはほとんど類を見ない存在です。私は1970年代の後半から今日まで、経済学の研究対象としてその歴史を追いかけてきました。
 この企業のいまひとつの特徴は、早くも19世紀末頃にイギリスなど各国に子会社を設け、世界企業としての歩みを開始したことです。1930年代になるとエクソン		
社は、原油の生産や製品販売などの諸活動を、本国アメリカよりも多く外国で行うにいたります。今日の世界企業の先駆的存在と考えることができます。

 この企業に対する私のこだわりは、現代の経済活動の主要な担い手である大企業について知りたいとの関心から発しています。そして、大企業の多くが世界企業として存在している今日の事実からすれば、世界企業の解明こそ現代大企業研究の最重要の課題のひとつと考えたのです。エクソン社の長きにわたる企業史の分析は、現代の大企業とは何かを明らかにする重要な手掛かりを与えると言ってよいでしょう。

PROCESS


【1】研究の目的と方法の設定:大企業を研究対象とした現代資本主義経済の解明
古典的著作であるR.ヒルファディング『金融資本論』(1910年)、N.レーニン『帝国主義論』(1917年)を導きの書として学びました。現代資本主義経済の解明を研究の目的に、大企業の活動を主たる研究対象(研究方法)として試みることにしました。
		
【2】研究対象の限定:世界企業を現代大企業の一典型として考察
M.ウィルキンス『多国籍企業の史的展開』(1970年)、『多国籍企業の成熟』(1974年)によってアメリカ企業の海外進出の歴史の概要をつかみました。これと併行してアメリカ資本主義の形成史を学び、ヨーロッパ企業などと異なるアメリカ企業の海外進出の独自性を探りました。
		
【3】研究対象の特定:国際石油企業エクソン社の歴史分析
あらゆる業種を通じて世界最大級の企業であり、現代世界企業の代表でもあるエクソン社(1972年より以前の名称はニュージャージー・スタンダード石油会社)の活動を、歴史を順に追いながら考察しました。2004年に『ニュージャージー・スタンダード石油会社の史的研究−1920年代初頭から60年代末まで』の公刊にこぎ着けました。
		
【4】研究の新展開:エクソン社の現段階の分析
エクソン社(エクソンモービル社)の1990年代初頭以降21世紀の最初の時期までを対象として、原油生産活動の実態を分析しました。歴史研究から同時代研究への移行です。歴史研究者は、ある時点でいったん現代そのものを扱うことが必要で、これによって改めて歴史研究の意義を確認できると考えたからです。
		
【5】再び歴史研究へ:1970年代のエクソン社の分析
1970年代に世界の石油産業は歴史的な変貌を遂げました。60年代以前とは連続できない特徴を持っています。現代の石油産業の構造や特徴の重要な一部は、この時代に形成されたと考えています。70年代のエクソン社の原油生産、製品販売などの諸活動を明らかにし、今日の同社の活動の原型が如何にして形成されたかを探っています。

■エクソン社の企業行動―堅実性と大胆な意思決定


 資本主義企業として卓越した存在であるエクソン社の強さや優位性は何に由来するか、これは今もなお私の研究課題です。これを時代の変化への迅速な対応に求めることは、必ずしも事実とは言えないと思われます。私には、同社の行動はむしろ非常に慎重であり、場合によっては保守的ともいえる堅実性が、19世紀以来今日まで受け継がれてきたように考えられるのです。
		
 アメリカ最大の石油企業と言いながら、エクソン社は1880年代の末頃まで原油生産をまったく行っていません。油田の発見は偶然性に左右される部分が大きく、成功すると巨万の富を得るのですが、失敗するとすべてを失いかねません。ジョンD.ロックフェラーなど創業者達は、原油の生産事業は投機的で、自分たちが手を付ける分野ではないと考えたのです。もっとも、それにもかかわらず、この企業はアメリカの原油生産全体を自己の統制下に組み込む独自のメカニズ(支配方式)を編み出しました。この点は大変注目されます。

エクソン社の活動史(創立前から今日まで)、および若干の石油事情


1859年
アメリカ北東部(ペンシルヴェニア州)のタイトスヴィルで油田が
発見され、機械による原油の生産が始まる。近代石油産業の誕生。
1863年
穀物などの取引商、ジョンD.ロックフェラーが石油事業に進出。
1882年
スタンダード石油トラストの成立(エクソン社の前身企業)。
アメリカ国内の石油製品生産能力の80〜90%を保有。
海外の石油市場もほぼ独占支配。
1888年
イギリスに製品販売子会社を設立。以後、ヨーロッパ大陸など各地に
子会社を配置。
1899年
ニュージャージー・スタンダード石油会社が持ち株会社として、
旧スタンダード石油トラストを構成した企業群の親会社となる。
1911年
ニュージャージー・スタンダード石油会社は、アメリカの独占禁止法
(反トラスト法)違反で、子会社の半分近く(33社)を喪失。しかし、
業界最大企業としての地位は変わらず。
1930年代
ヴェネズエラがアメリカ本国を凌ぐ最大の原油生産拠点となる。
製品生産(原油の精製事業)、製品販売などでも、海外事業がアメリカ
を上回る。
1940年代後半−50年代前半
サウジ・アラビアの油田に対する権益を確保し、西ヨーロッパ、アジア
などに対する原油供給体制を確立。主要な石油消費国で石油製品の
生産体制を飛躍的に拡充。戦後「エネルギー革命」を主導する実体面
の条件を整備。
1960年代後半
世界全体で石油は石炭を凌いで最大のエネルギー源となる(日本では1962年に最大へ)。
		
1970年代初頭以降
ラテン・アメリカ、中東、北アフリカなどで産油国政府による油田の国有化、
支配権の掌握が急進展。70年代末までにニュージャージー・スタンダード
石油会社は、これら地域の主要油田に対する支配権のほとんどを喪失。
1972年
11月に社名をエクソン社に変更。
1973年
「第1次石油危機」の勃発。国際市場での原油価格(サウジ・アラビア軽質原
油)は、年初の1バレル(約159リットル)2.6ドルから年末までに11.6ドル
へ急騰。エネルギー源としての石油の地位の相対的な低下が始まる。
1970年代後半以降
ヨーロッパの北海、アメリカのアラスカなどで原油生産を開始。
1978年以降
「第2次石油危機」の勃発。原油価格は再び高騰。
1980年初頭にサウジ・アラビア軽質原油は、1バレル28ドルへ。
1980年代
各国での「脱石油」「省エネ」の進展により、石油消費は低迷。
80年代半ばに原油価格は暴落。
1990年代初頭以降
旧ソ連邦の崩壊、中国の社会主義市場経済の進展などに伴い、エクソン社は
これら地域に進出。活動範囲は文字通り世界全体となる。原油および天然
ガスの探索は、アメリカのメキシコ湾、西アフリカ沖などの深海部におよぶ。
1999年
国際石油企業モービル社を買収して、社名をエクソンモービル社に変更。
この前後の2,3年の間に国際石油企業(メジャー)同士の大合同・買収が
急進展。スーパー・メジャーの誕生。
2000年以降
中国などでの石油消費の急増。2008年7月には原油価格(西部テキサス
中質原油〔WTIとして知られる〕)は一時、1バレル147ドルへ急騰。
▲スーパーメジャー誕生の流れ 
 他方、エクソン社に受け継がれたいまひとつの行動様式は、危機の時代における大胆な意思決定と実行力です。1911年に独占禁止法違反で、ほぼ半分の子会社を失ったエクソン社は、1920年代には他社との競争においても徐々に後退を余儀なくされます。しかし、29年大恐慌後の困難の時期に、国内外で一大投資を断行し、一挙に劣勢を跳ね返すことに成功します。これは危機に直面した同社の大胆な行動の顕著な一例です。

 「資本」を「自己増殖する価値の運動体」と特徴づけたのは、『資本論』の著者K.マルクスですが、そのマルクスは資本の運動には限界がないとも述べています。エクソン社は堅実性と大胆さを兼ね備えて、長期にわたって自らを拡大し続けた企業であり、マルクスの思い描いた資本の典型例のひとつと私には思われるのです。

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