博士後期課程修了生の声

博士後期課程修了生(2022年度)

朴 峻喜(立教大学経済学部助教)

なぜ大学院で研究しようと思ったか

私は、もともと韓国釜山大学の博士課程の学生でした。交換留学で偶然に埼玉大学に来たのですが、埼玉大学の研究指導体制に魅力を感じ、埼玉大学に進学することになりました。もともと、「労働」に関して関心を持っていて、もっと深く研究がしたく、大学院に進学することになりました。

どのような研究テーマで研究をしたか

私は、これまでに労働現場で発生している労働問題を把握し、その問題をめぐる労使の対応を明らかにする研究を進めてきました。博士論文では、新自由主義労働政策(いわゆる新公共経営管理)のもとで、韓国鉄道の労使関係がいかに変化したのかを歴史的に明らかにしました。また、韓国鉄道労働組合の事例を通して、社会公共性という概念を中心に連帯が発生するメカニズムを検討しました。韓国は、日本の旧国鉄のように国営として鉄道を運営していましたが、新自由主義労働政策を推進する流れの中で鉄道を民営化しようとする動きがありました。この際、鉄道組合は、大学生、市民団体との連帯を行い、鉄道民営化を阻止しました。当時、鉄道労働組合では民営化を阻止するためにストをする一方、社会公共性という概念を提案して、ストに対する社会的な支持と支援を受けました。私は、鉄道労働組合が提案した社会公共性という概念の意味を分析しながら、市民団体と一般市民(特に大学生)が鉄道労働組合のストを支持・支援した理由とメカニズムを分析しました。

どのように研究が進んだか

埼玉大学には、「労働研究会」という労働分野を専門とする先生方が一緒に運営するゼミがあります。その研究会に毎回参加し、先生方からのコメント、そして他の学生からのコメントをもらいながら研究を進めました。埼玉大学の長所は、1)労働分野を専門としている先生方が多いこと、そして、2)社会人、留学生、若い学生など、多様な学生がいることであり、そのため色々な経験をした先生および学生と一緒に議論ができることだと思います。労働研究会で自分の研究に関して報告し、悩みを相談することができたので、そのコメントをもとに研究を進めました。D1次は、テーマを決めることや調査方法などについて報告し、D2次には章立てなど博士論文の全体構成を考え、1章ずつ研究を進めることができました。そして、D3からは学会報告や専門学術誌に論文を投稿しながら、博士論文を完成させました。

実際にどうやって仕事と両立したか

私は、そもそも学生として留学に来たため、仕事はしていませんでした。仕事をしないと、経済的な困難はありますが、以下のように生活をしながら研究を進めることができました。

第一に、埼玉大学のTA・RAを務めることにより、経済的負担を減らすことができました。第二に、奨学金をもらい、生活の困難を克服し研究に集中することができました。D2から2年間は、「米山記念奨学会」から奨学金(月14万円)をもらい、D4の1年間は「渥美国際交流財団」から奨学金(月25万円)をもらいながら研究に集中することができました。もちろん、博士課程の時に奨学生になるためには、自分の研究計画や研究内容を奨学会にアピールする必要があります。先ほど述べた「労働研究会」での発表経験が豊富であったため、奨学会にアピールすることができたと思います。

研究をしてみて、どのようなことが得られたか

私は、埼玉大学に進学する前には、自分自身が研究のできる人間だとは全く思いませんでした。深く考えることができず、分析よりは自分の感覚で社会を理解しようとする癖があったからです。しかし、埼玉大学のゼミで、「実証」をすることの重要性、そして「実証の方法」を学べることができ、「分析する力」、また「自分で研究できる力」を得られたと思います。その力をもとに、大学教員として、一人の研究者として最初の大事な一歩を踏み出すことができたと思います。

博士後期課程修了生(2021年度)

高山 和夫

「未来とは、今の自分自身による結果次第」

なぜ大学院で研究しようと思ったか

40才を過ぎたときに業務で国際会議に出席したのですが、自分の語学力不足のみならず実務に関する専門性の無さに愕然とした覚えがあります。その後他省庁に出向し、一連の公的統計改革に携わることで、自分自身の担当業務に関する知見の無さを痛感し、改めて勉強しなおそうと決意しました。日々働きながら研究するということで、上司(当時)に相談したところ、前の上司が本学で学位を取得されたことを教えて下さり、自分でも調べてみました。その上で、平日夜間と土曜に都内のキャンパスに通えるという現実性、自分自身の実務経験を基に研究したいテーマを学べるという専門性、の観点から本学を選び受験しました。

どのような研究テーマで研究をしたか

私は、GDPに代表される国民経済計算(SNA)の推計実務家として、SNA推計方法の基である産業連関表の作成方法が大きく転換する歴史的ターニングポイントであることから、わが国における産業連関表から供給・使用表への移行理由について歴史的考察を行いました。

どのように研究が進んだか

私は、インテンシブ・プログラム(博士後期課程への進学を目指す社会人のためのリサーチワークにウェイトを置いたプログラム)で入学をしましたので、MC二年間+DC一年間の、計三年間で学位取得を目指しました。

MC1年

最初は手探り状態で、前期は主指導教員の授業を受けることで基本的な考え方を学ぶ一方、興味を持った授業を受けながら、研究テーマに関する文献を収集し、まずは理論面の理解を深めるよう心がけました。後期に「経済学史特論」を受講したのですが、先生とのマンツーマンでしたので、毎回レジュメを用意・発表するということで準備も大変でしたが、大いに学ぶことが出来ました。この頃から、研究テーマを理論やモデル分析ではなく、歴史研究として論文にまとめたいという考えを持つようになり文献収集を進めていたところ、良い文献を発見することが出来、大まかな研究に関するストーリーや章立てをイメージし始めました。

MC2年

5月に中間報告会があり、これまで学んだことを発表したのですが、先生方からの研究計画に対する根本的なコメントに答えられず、改めて自分の研究計画や内容を考え直す機会になりました。先生からは夏までに「経済科学論究」投稿論文を執筆するように指導があり、それに向けた関連資料の収集と精読に努めました。その頃からコロナ禍が蔓延して文献を収集するのに苦労しましたが、オンラインによる国立国会図書館の遠隔複写、Google scholar、等を活用しました。また収集した膨大な資料や文献は、市販の文献管理ソフトを使うことで効率的な文献管理を進めることが出来、大変便利でした。歴史研究は必要とする文献を探し求めることが不可欠ですが、サルベージ方式で収集と精読を重ねることで、少しずつ必要とする文献に対する目が養われていきました。秋に「経済科学論究」への投稿と査読審査を経て、投稿がアクセプトされたときは嬉しかったです。この投稿論文をベースに、修士論文の提出に向けて考察を重ね、MC2年1月に修士論文を提出しましたが、その裏でDC進学に向けた研究計画書の作成も進めました。

DC1年

前期は5月に中間報告会があり、博士論文のアウトラインを説明したのですが、研究テーマ設定を絞り込むことができず、先生方から厳しいコメントを頂きました。この頃は特に、学術論文に対する作法に慣れず苦労したので、論文執筆の参考書を読み進めました。10月に博士論文の初稿提出、関連学会での発表、4人目の先生も交えた合同検討会が予定されていたため、その夏は博士論文の執筆と研究に明け暮れました。合同検討会では、先生方から初稿に対する大変厳しいコメントを多数頂き、大幅な書き直しを行いました。年末は業務も多忙を極め、一方で博士論文の書き直しを進める必要もあり、正直提出を諦めかけたのですが、先生とのZoomでの打ち合わせにおいて論文の方向性に関するアドバイスを頂きまして、何とか年明けに提出することが出来ました。

実際にどうやって仕事と両立したか

私の場合は「仕事と家庭との両立」という点では、複数年にわたっての研究生活であるため「持続性」をキーワードに、(1)家族や職場など周囲の理解とサポート、(2)計画的に進める意識、(3)研究をすることの優先度、(4)予算面、を重視しました。

第一に、平日夜間・土曜に講義を受けることから、授業がある曜日は定時で帰るといったことが必要であり、家族サービスも限定的になることから、社会人大学院生としては重要な要素だと思います。研究生活を継続するということは、最終的には自分一人で黙々と論文を執筆し研究成果を出す必要があり、想像以上に孤独ですから、周囲の人の理解・サポートは大切だと思います。偶然にも同じ職場に埼玉大学大学院の先輩がおられたので、適宜アドバイス等を頂き、大変助かりました。

第二に、一度研究をするという気持ちが途切れてしまうと再開することが難しくなるため、いつまでに何をすべきかを計画して、平日夜間や週末を利用して研究を続けました。また、大学院での授業における発表の機会を意識的に設定し、先生や同じ研究室の仲間との議論をすることで、独りよがりな研究になることを避けるようにしました。

第三に、この三年間は学術論文を執筆し成果を上げることを最優先に考えました。全く想定外でしたが、コロナ禍が蔓延して夜の会合や週末に外出する機会もほとんどなかったので、結果的に集中して研究を継続することが出来ました。

第四に、研究を継続するには、文献・資料収集や学費などそれなりに金銭的負担があるという現実です。複数年に及ぶ研究生活を続けるためにも、重要な観点だと思います。

この他、大学院の事務職員の方々にも、提出書類の書き方など不明な点は遠慮せずにメールで確認するなどして、細かな面でサポートいただきました。どうも有り難うございました。

研究をしてみて、どのようなことが得られたか

専門的知見を得たこともありますが、講義や研究会内でのプレゼン、学会での発表、学術論文の執筆の作法、同じ分野での研究者同士の交流など、本当に多くのことを経験し学びました。そういう意味で、この三年間は凝縮された密度の濃い年月でした。

「未来とは、今の自分自身による積み重ねの結果である」という格言のとおり、今この瞬間を日々大切にしていくことで、未来が切り開かれるように思います。皆さんも、ぜひ埼玉大学大学院の門をたたいてみてください。切り開いてみると、そこにはまた新たな世界が広がっていますよ。

博士後期課程修了生(2020年度)

天達 泰章(内閣官房兼内閣府規制改革・行政改革担当大臣直轄チーム 参事官補佐)

なぜ大学院で研究しようと思ったか

「金融市場での実務経験を学会に還元する」

内閣府、総務省、日銀、三菱UFJ銀行で、エコノミストや為替アナリスト等として調査実務に従事してきただけでなく、債券運用や為替介入など金融市場実務にも従事してきた。金融市場実務はプロの世界であり、学術研究者や記者を含めた一般の方々には馴染が薄く、金融市場実務を理解するハードルは高いと考える。そのため、私は、金融市場参加者、学術研究者、一般の方々の三者の橋渡しとなるようなレポートの執筆に一貫して努めている。

例えば、「為替スワップと通貨スワップの裁定関係と価格発見力」(日本銀行ワーキング・ペーパー)は、為替スワップと通貨スワップ(べーシス・スワップ)の取引の仕組みを紹介した上で、両者の裁定関係を金融市場実務の面から分かり易く示し、更に、学術的にも示したものである。また、『日本財政が破綻するとき』(日本経済新聞出版社)は、金融市場実務の最先端(当時)であるドル建て日本国債利回りの考え方を用いて、外国投資家からみた我が国国債の信用リスク(財政破綻リスク)を示したものである。

こうしたスタンス、取り組みの中で、埼玉大学大学院で博士(経済学)を取得された水野和夫法政大学教授からご紹介頂き、金融市場での実務経験を学会に還元することを課題に博士課程での研究に取り組んだ。

どのようなテーマで研究をしたか

「国債イールドカーブと金融政策反応関数」

金融政策は景気物価動向によって主に決定されること(金融政策反応関数と称する)から、債券市場を中心に金融市場実務では、日々発表される経済指標を分析し、中央銀行の金融政策反応関数を予測しながら、投資・運用されている。しかし、国債イールドカーブ(金利の期間構造)の決定要因に関する実証研究は、金融工学や数理ファイナンス等からのアプローチで複雑化しているが、伝統的な金融経済理論(マクロ経済理論、テイラールールなど)に基づいたアプローチはほとんど研究がなされていない。

経済指標が金融政策を決定し、金融市場を動かすことを、そのために、金融市場参加者が日々、経済指標をウォッチし、金融政策の先行きを日々予測して売買している実態を学術研究に取り入れ、学会に示すことが私の貢献であると考え、「国債イールドカーブと金融政策反応関数」(博士論文)の関係を分析した。国債イールドカーブのフェアバリューを金融経済理論に基づいて分かり易く説明することができたと考える。

どのように研究が進んだか

「学術研究における議論(壁打ち)」

これまでの実務経験から、先行研究の理解やデータ収集、計量ソフトを使った分析はレポートレベルの作成では問題がなかったが、学術レベルの議論(壁打ち)は債券運用の現場では出来なかった。そのため、長田先生等に頻繁にご指導頂き、学術研究における議論(壁打ち)を中心に論文を作成・洗練させていった。

特に、論文の査読において、査読者とのやり取りを何回も行ったことは、査読者への対応方法を学ぶ上で良い経験であった。また、長田先生の金融特論と埼玉大学金融研究会は、様々な分野の学術研究を議論し、知見を広げる上で貴重な時間であった。ご指導に深く感謝申し上げます。

実際にどうやって仕事と両立したか

「休日の貴重な時間を研究に割くことに快く協力してくれた家族に心からありがとうと言いたい」

平日は、外債運用の最前線にいたことから、朝早くから夜遅くまで金融市場をウォッチする必要が有り、学術研究にほとんど時間を割くことはできなかった。長田先生による論文指導も平日の遅い時間や週末にお時間を頂くことが多かった。

また、土日は子供と一緒に図書館に行って、研究する日々であった。休日の貴重な時間を研究に割くことに快く協力してくれた家族に心からありがとうと言いたい。

研究をしてみて、どのようなことが得られたか

これまで金融経済について分析し、レポートの執筆に取り組んで来たが、学術論文の書き方などを学ぶことが出来たことは大きな収穫である。

その成果は、内閣官房兼内閣府規制改革・行政改革担当大臣直轄チーム分析レポートNo.1「政府による社会給付に関わる所得制限の横断的整理と課題」の執筆に生かされている。社会給付における所得制限を網羅的かつ横断的に整理、分析し、課題を示した先行研究はほとんどない。学会だけでなく、行政や一般社会においても稀有であり、貴重な成果だと考える。御覧頂けると幸いです。

(規制改革・行政改革担当大臣直轄チーム取組一覧No.61「規制改革・行政改革担当大臣直轄チーム分析レポート『政府による社会給付に関わる所得制限の横断的整理と課題』の公表について」)
https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/publication/direct/d_index_02.html

(「政府による社会給付に関わる所得制限の横断的整理と課題:子育て、教育、住宅、就労、生活保護、医療、介護、年金、母子家庭、障害者への給付」)
https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/publication/direct/210730direct03.pdf

博士後期課程修了生(2019年度)

杉山 敏啓(江戸川大学経営社会学科 教授)

なぜ大学院で研究しようと思ったか

-潜在問題意識があるきっかけで急浮上-

埼玉大学大学院の入学以前、私は勤務先のシンクタンクで金融分野の研究開発・コンサルティングに従事し、部室長として多忙な毎日を過ごしていました。研究成果として集大成に取り組みたいテーマは思い抱くも、忙しさに流されてきっかけをつかめずにいた中、地元の駅伝大会に出た際に故障をして数日入院しました。多忙な生活が一時中断されて、今までの人生でやり残していることを考えた時、「博士論文」が強く浮かび上がったのが、大学院での研究に意を決した瞬間でした。

どのようなテーマで研究をしたか

-銀行業の競争度合いを評価し影響を分析-

日本の銀行業は長らくオーバーバンキング(銀行過剰)と言われる一方で、近年では地銀合併による寡占化が問題となるなど、競争度の見方や寡占化の影響について諸説が整理されていないと認識し、この問題の解明に取り組みました。先行研究調査を通じて競争度の計測指標を評価・選定した上で、全国の金融機関店舗リストを用いて地域別の競争度を計測するとともに、金融機関の合併や店舗配置変更等に起因する競争度の水準変化が利用者および金融機関経営に及ぼす影響について分析しました。

どのように研究が進んだか

-講義・ゼミ・学会報告・外部寄稿に注力-

伊藤修先生と長田健先生が主宰される日本経済金融の月例研究会(ゼミ)に参加して、博士論文のパーツ原稿や学会報告の素稿を発表し、先生方や研究仲間から多くのご指摘や改善提案を受けました。博士後期課程の講義は少人数で個別指導が行き届きます。長田健先生の講義で海外トップジャーナルの輪読と報告にじっくり時間をかけて取り組んだことは、先行研究を理解するスキル向上に大変役立ちました。丸茂幸平先生には講義の際の個別相談に加えて、研究室を訪問して論文構成等について詳細なご指導も頂きました。 博士後期課程中には本学内での発表や個別相談のほか、学会報告、査読付き論文の投稿、専門誌寄稿などを積極的に行いました。こうして自分自身の研究を密室化させずに多くの専門家の目で見ていただくことは、研究のモチベーションと緊張感を高めるとともに、研究内容のレベルアップや自分自身の誤解等の点検に大いに役立ちました。

実際にどうやって仕事と両立したか

-研究と仕事を意識的にリンク-

博士後期課程は、修士課程とは違って履修する講義コマ数は少なく、講義出席のための時間確保で苦労を感じることはありませんでした。講義やゼミは東京ステーションカレッジ(銀座線神田駅から徒歩2分)で平日夜間・土曜日に開講されるので、社会人学生にとっては助かります。

社会人学生の場合、職場での折り合いを心配して就学をオープンにするかどうか迷う方もいらっしゃると聞きますが、私は意識的にオープンにしました。誰にも迷惑をかけずに長丁場の研究を成し遂げることは難しいため、それならば職場や家庭など身の回りの方々には研究活動を知っていただき、研究に必要な迷惑?ならば受け入れてもらう方が潔いと思ったからです。私の場合、仕事内容と研究内容の関連性が元々あったため、専門誌への寄稿などによって仕事と研究とのリンクを更に高めました。こうすることで、仕事での気付きが研究活動の改善に役立つと同時に、研究活動での学びが仕事の品質向上に寄与するという相乗効果がもたらされます。

研究をしてみて、どのようなことが得られたか

-研究し続けるパスポートを得る-

日本の金融業界では人員削減機運が高まりを見せる中、将来的には実務経験を活かしてセカンドキャリアで大学教員を考える方が増えるかも知れません。大学としても実務家教員へのニーズはありますが、アカデミックの業績も重要であり、実務と学術の両方が求められます。学位取得が、学術面での能力の証となることは言うまでもありません。

私の場合、本学在学中に私立大学で金融分野の専任教員に奉職することになりましたので、少し変わったケースだと思いますが、博士後期課程の研究活動として学会報告や査読付き論文発表が進捗していて、学位取得の取り組みが順調である点が評価されたことは間違いありません。本学での研究活動がなければ、違った人生を歩んでいたことでしょう。本学で私がご指導いただいた研究室では特に、修了後の大学非常勤講師への就任や査読付き論文の発表、共著出版など、いろいろな側面で応援をしたり助け合う雰囲気があり、非常勤の教歴や研究実績を積み重ねて、大学教授になった先輩が多数いらっしゃいます。

後期課程在学中、本学の先生方からは「博士号を取得した後に何をなすのかを長期スパンで考えよ」と度々言われました。忙しい社会人学生としては、学位取得をゴールだと捉えてしまいがちですが、博士号は取得することが最終目的の資格ではなく、高品質の研究を継続するためのパスポートなのです。本学在学中、学位取得後を見据えたご指導を頂いたことの素晴らしさを大学教員として今、改めて認識します。

博士後期課程修了生(2019年度)

須内 康史

なぜ大学院で研究しようと思ったか

社会人としてこれまで仕事で得てきた経験を、体系的に整理し理論的に展開してみたいと思ったことが、大学院での研究をしようと思ったきっかけです。個々の業務を通じて得られる経験は貴重なものですが、どうしても個別具体的な対応が早期に求められる傾向があります。 実務年数を経るに連れて経験が蓄積されていく中で、論理的な裏付けを強化したい、理論的にあるべき姿をとらえたいという思いが強くなっていきました。

仕事と両立できる社会人向けの大学院を探して行く中で、埼玉大学の大学院が社会人向けに博士前期課程から後期課程まで一貫して学べる経済経営専攻を設けていることを知りました。サテライトキャンパスが東京にありオフィスからの通学も可能であること、そして知識の習得にとどまらず自身の問題意識をアカデミックに展開する学術論文の作成が重視されていることに魅力を感じ、埼玉大学大学院での研究を志しました。

どのようなテーマで研究をしたか

私はこれまで開発途上国における官民連携(PPP)事業の実務に携わった経験がありましたので、PPPを研究テーマとしました。その中でも、実務経験の中で問題意識を深めていたPPPにおけるリスクアロケーションのあり方、さらにそこで政府が果たすべき役割についてフォーカスしました。

自身の問題意識に基づく研究テーマは設定できたものの、それをどのようにアカデミックな研究として深めて掘り下げていくかは、入学後の課題であり、大いに苦労した点でもあります。様々に試行錯誤する中で、主指導教官と議論を行い多くの示唆を頂くことで事例研究や実証研究の方向性を導き出すことができました。

どのように研究が進んだか

私は博士前期課程と後期課程を続けて修了したのですが、入学の前までは学術的な分析・アプローチの経験が乏しかったため、指導教官の先生方に様々に指導いただきながら研究を進めました。

まずは研究テーマであるPPPの分野の先行研究を幅広くリサーチして、自身のフォーカスする領域に近い論文を数多く読み、先行研究の成果や分析手法の把握に努めました。その際にサーベイ論文を活用したことは、先行研究の全体像・概観をつかむ上で有効であったと感じています。

博士前期過程では、先行研究に基づき自身の問題意識を理論的に体系化することに努め、あわせて事例研究を行いました。博士後期課程では、前期課程の成果をベースとして、そこから導き出した仮説についての実証研究を進めました。実証研究においては仮説の導出、実証の方法論の検討、そして実証分析による仮説の検証へと研究を進めたのですが、手探りで進めるところが多く、試行錯誤の連続でした。壁にぶつかっては主指導教官とディスカッションを行い再検討することを繰り返す中で、実証研究の最終的な方向性を見出すことができました。また、論文作成の過程でプロジェクト研究会や 論文検討会で議論を行い、そこで頂いた副指導教官からの客観的な指摘や助言が大きな気付きとなり、論文の改善・完成につながりました。

研究が進む中で、学会誌への投稿を行ったことも、論文完成へ向けての大きなマイルストーンとなりました。査読における指摘事項への対応は慣れていないこともあり非常に苦労しましたが、査読を通過して論文が掲載された時はたいへん嬉しく、また自信につながりました。

実際にどうやって仕事と両立したか

仕事との両立は社会人にとって常に大きなチャレンジであると思います。埼玉大学の大学院では、プログラムが社会人向けに夜間・週末に組まれたものであることや、サテライトキャンパスへのアクセスもしやすかったことが大きな助けとなりました。また、若い頃に海外の大学院で修了したMBAでの取得科目を博士前期課程において単位認定する制度があったことも、早期の修了につながった点です。

論文作成にあたっては、実証に必要なデータベースの構築や論文の核となる章の執筆などは時間をとって行うことが必要と考え、ゴールデン・ウィークや夏季休暇期間などのまとまった休みを活用して集中的に行いました。論文の最終段階では、毎週末をフルに使って仕上げました。そして何よりも、仕事との兼ね合いで時間的制約を抱える中でアカデミックな経験に乏しい私が博士課程を修了できたのは、主指導教官がメールや週末での相談・指導に柔軟に対応して下さり、そこで数々の指導・助言を頂いたおかげであり、心より感謝申し上げたいと思います。

研究をしてみて、どのようなことが得られたか

ひとことで言い表すのは難しいのですが、埼玉大学大学院での研究を通じて、これまで仕事で得られていた業務の経験を学術的裏付けと結びつけることができたことは、私にとって大きな成果でした。また、実務経験を通じて有していた問題意識に基づく仮説を導出し、その仮説を学術的に実証することができたことは、大いなる喜びとなっています。

そして、今後に向けては、自身がこれまで培ってきた実務的な見方や対処に加えて、物事を学術的・理論的に捉え、新たな視点を持ってアプローチする広がりを持たせてくれると期待しており、それを自らの手で体現していきたいと思っています。

博士後期課程修了生(2018年度)

神尾 真次

なぜ大学院で研究しようと思ったか

社会人は日々の業務を通じて様々な経験や知識を得ている。しかしながら実際はその量が膨大すぎることや整理が不十分であるため、その大半が有効活用されていないのが実情である。経験や知識を明日への活力につなげるためには、定期的に「棚卸し」を行い体系立てて整理することが重要である。実際30代にも博士前期過程に挑戦し修士号を取得したが、その際にも蓄積された知識・情報を整理し、日頃の業務の論理的裏づけを行うことで、暗黙知が形式知化したことを肌で感じた。その結果、業務上自らの仕事を説明することや知識を伝承する上で大いに役立ったのである。この様な背景から40代の総括として博士後期過程に挑戦した。

どのようなテーマで研究をしたか

私の40代の業務における主担務はM&Aであった。デンマークでM&Aを実行した企業のPMIに参画し、その後日本の本社でM&Aの陣頭指揮を執った経験から、旅行企業におけるM&Aとその戦略との関係性を研究テーマとした。折しも入学前の2014年はパッケージ・ツアーの造成や販売など、総合的に旅行事業を運営する主要旅行企業による選択と集中に基づく大胆な戦略の発表があり、欧州旅行産業内に衝撃が走った年であった。この意思決定に至るまでには大小様々な企業買収や売却が実施されており、その戦略的背景を探ることにフォーカスしたのである。具体的には欧州主要旅行企業の史的研究を行い過去に実施されたM&Aを知ることで、その戦略的特徴と統合の有無及び程度などの特徴を導出した。

どのように研究が進んだか

研究は大きく3つの段階で進めた。情報収集・分析、仮説及びシナリオの設定、そして検証である。情報収集段階では埼玉大学が有するプラットフォームを活用し、先行研究や対象企業の年次財務報告書の収集を行い、その上で現状分析を行った。

次に現状を理解したうえで、ラフな仮説を設定し論文全体のシナリオを構築した。この際には指導教官との議論が実に有効であった。社会人学生は経験豊富ゆえに、その経験から結論に論理的な飛躍をする傾向にあり、そこにアカデミックバックグラウンドを有する主指導教官と議論を戦わせることで軌道修正するのである。まさにその過程は新しい発見の連続であった。さらに副指導教官によるサポート体制も極めて有効であった。主指導教官との議論を通じて暗黙の理解が深まったところで、新たな目線からの客観的な指摘が論文の改善を促す。このサイクルが研究を最終段階に向かわせたのである。

最後に検証作業であるが、事実の発見から結論の導出に至る過程は大学院という場があったからこその経験であった。結論を急ぐビジネス界の常識に対して、一つずつ丁寧に結論を導き出す作業は価値観が大きく異なったが、経験豊富な教授陣の指導によって完成に至った。

実際にどうやって仕事と両立したか

正直極めてチャレンジングであった。通常の日本での仕事環境において、埼玉大学の熟慮されたプログラムであれば十分両立可能だと思う。しかしながら私の場合は在学中にスイス駐在辞令が出たことから両立はかなり困難であった。幸いにも発令のタイミングが論文のシナリオの大枠が固まった段階であったことに加え、指導教官がメール等での遠隔指導を快く受け入れてくれたことなど極めて柔軟な対応があったからこそ、両立できたと考える。結果的に駐在前後の半年の休学を余儀なくされたが、その後復学して博士号取得に至ったのは埼玉大学の社会人学生に配慮するカルチャーがあったからこそだと考える。

研究をしてみて、どのようなことが得られたか

自らが関わる旅行産業の歴史及びM&Aの変遷を理解することで、日々の業務と業界の全体像の把握することに大いに役立った。また史的研究から成功モデルの抽出ができたことで、日々の業務を進める上での大きな示唆となったことも事実である。そして蛇足ではあるが現在駐在する欧州のドイツ語圏においては博士号取得者に対する社会的な評価は相対的に高く、氏名欄にMr,Mrsの前にDr.欄があることからも明らかである。瑣末ではあるが、Dr.欄にチェックする時が博士号取得の喜びを感じる瞬間であった(笑)。

博士後期課程修了生(2018年度)

宮本 弘之

なぜ大学院で研究しようと思ったか

○きっかけは同僚からの紹介

私が埼玉大学大学院の博士後期課程について初めて知ったのは、会社の同僚から「埼玉大学で博士号を取得した」という話を聞いた時です。その時は、「働きながら博士号をとる道もあるんだ」、「埼玉まで通うのは大変だったんだろうな」と思ったのですが、良く調べてみるとサテライトキャンパスは、JR東京駅のすぐそば、私の勤める会社のオフィスからも歩いて5分程のところにありました(注:その後、サテライトキャンパスはJR神田駅とJR秋葉原駅の間に移転)。

シンクタンクに勤めている私は、「アカデミックなアプローチが自分の会社での研究や仕事に新たな視点を与えてくれるのではないか」と思い、埼玉大学大学院の門をたたいてみようと思ったわけです。

どのようなテーマで研究をしたか

○トップジャーナルを読んで研究テーマを設定

四半世紀前に理工学系の博士前期課程(修士)を修了していた私にとって、アカデミックな世界には長いブランクがあり、当初、研究テーマや研究計画の策定に苦労しました。具体的な研究テーマを明確に設定できなかったため、金融機関のリテールビジネスに関する業務経験が長いことを踏まえ、金融論・経済学が専門の長田先生(主指導)、伊藤先生(副指導)とマーケティングが専門の薄井先生(副指導)に指導をお願いしました。自分の業務からの問題意識を明らかにするだけでなく、その問題意識がどのようなアカデミックな研究領域につながるかという点を、入学前にもう少し明確にしておくべきだったというのが、今振り返っての反省点です。

入学当初の漠然とした研究テーマの設定から一歩進んだのが、1年目前期の金融論特論(主指導の長田先生が担当)の授業でした。その授業の中で、英文のトップジャーナルから3本の論文を読んで発表する課題があり、この課題に取り組む過程で「家計金融(Household Finance)」という分野の研究が2000年代以降に活発になっていること、そして自分の関心や問題意識とぴったり合っていることを知りました。入学してから早い時期に研究領域の的を絞れたことは大変幸運だったと思います。

どのように研究が進んだか

○トップジャーナル、ゼミ、体系的に書かれた書籍が推進力になった

3年間の研究プロセスの概略は次の通りです。1年目は指導教員から指定されたトップジャーナルの中から興味のある論文をいくつか読み、それを踏まえて研究テーマを設定し、学会発表の準備をしました。2年目は、2回の学会発表とそれに基づく学会誌への投稿、及び、経済科学論究への投稿を行いました。3年目は、学位論文の構成を練り、改めて先行研究を整理し、前年に投稿した論文の修正と再投稿を行いました。そして、中間報告や合同検討会での指導教員からのアドバイスを踏まえて学位論文を完成させました。

試行錯誤しながら進めてきたため、何が正しいのかはわかりませんが、私なりに重要だと思ったポイントが3つあります。第一に、「トップジャーナルの論文を読みなさい」という長田先生の指導です。社会人学生としては、日本語の論文を読む方が時間効率が良いと考えるかもしれませんが、「質の高い研究をするためには、(英文の)トップジャーナルで議論されている問題意識を正しく踏まえるべき」ということを入学間もない時期に教えていただいたことは、学位論文を書くというゴールに対し早道になったと思います。

第二に、伊藤先生や薄井先生が開催するゼミ(研究会)に参加したことです。ゼミの場で、他の社会人学生の研究プロセスを知ることができ、また、多くのネットワークができました。研究分野は異なれども、論文の書き方や学位論文の仕上げ方について、等身大の理解が進みました。例えば、「3つの独立した論文を書いて、それを学位論文の中核の3つの章にする」という方針は、両先生のゼミを通じて先輩の学生の取り組みから学んだことです。

第三に、論文だけでなく家計金融(Household Finance)に関する書籍を読んだことです。2年目の夏に、Household Financeを取り上げた英文の書籍があることを知り、時間をかけて読破しました。論文を読んで断片的に入ってきた情報が、書籍を通じて体系的に整理され、この分野の研究を進めていくことに自分なりの自信を持てるようになりました。

実際にどうやって仕事と両立したか

○自分に合った研究スタイルを見つける

社会人学生にとって仕事との両立が研究を進めるための最大の障壁であることは、入学前から想像していました。実際に入学してみると、置かれた状況は人によって千差万別であることがわかりました。研究に多くの時間を当てることができる人もいれば、仕事や家庭の事情で学業を断念せざるをえない人もいました。私はその中間だったと思いますが、研究に必要な時間を確保できず精神的に焦りを感じることが何度もありました。特に、投稿論文の締切と学内での報告の時期が重なった時などは、大変な負荷がかかりました。

入学当初は、1日に1時間でも2時間でもコツコツと研究しようと考えました。実際にそれを実践している人もいましたが、1年目の半ば位に、そのやり方は自分には合わないと感じるようになりました。その後は、仕事に集中する時期と研究に多くの時間を割く時期を、1~2週間の単位で濃淡を付けるようにしました。このことから、仕事と両立しやすい自分の研究スタイルを見つけることが大事であることを実感しました。

実際にどうやって仕事と両立したか

○新しい世界

研究から得たことを簡潔に述べるのは難しいのですが、一言でいえば「新しい世界」だと思います。つまり、仕事を通じて得た思考回路、行動様式、人脈などとはまったく別のアカデミックな思考回路、行動様式、人脈が形成されたと思います。この二つの世界は、交わらないものではないと思いますが、自分の中に独立に存在していることに意味があるのではないかと思っています。仕事をする上でも、アカデミックな研究をする上でも、もう一つ別の世界を持つことがどこかで重要な意味を持つことがあるでしょう。具体的な例を挙げれば、在学中に家計金融(Household Finance)の研究者のカンファレンスに参加する機会がありました。ここで得た「新しい世界」を今後も大事にしていきたいと思っています。

埼玉大学大学院で得た「新しい世界」をどのように生かしていけるか、そしてその世界を広くしていけるかは、すべて修了後の自分にかかっていると思います。その扉を開いていただいた埼玉大学及び指導教員の先生方に深く感謝いたします。

博士後期課程修了生(2015年度)

深谷 正廣

私は、企業実務で培ったことを整理したいと思い、甘い自分を律する為に、大学院の博士課程という箍をはめて取り組みました。そして、研究テーマを深める中で、近年の日本エレクトロニクス産業の凋落と、ものづくりの軽視の論調に、自分なりの問題意識が高まりました。 以下、少しハウツウ気味に自分の経験をお伝えします。

1. 博士課程修了の枠組み

埼玉大学経済学部の博士課程は、大きく3つの枠組みがあります。

  • 論文作成
  • 必須講義
  • 査読論文

です。

この3つの枠組みを修了しなければなりません。

まず論文作成ですが、埼玉大学の場合は、論文のレベルと完成度を重視しています。必須講義は、博士課程修了の為の必須条件ですから、論文作成に入る前に終了することを勧めます。査読論文も、同じく博士課程修了の必須条件となっています。しかるべき学会の査読付き論文の掲載実績のある方は問題ありませんが、実績のない私は、埼玉大学経済学会の経済論究に掲載してもらいました。

査読論文作成には、字数の制限と論文作成の作法をマスターする必要があります。これに私の場合は、半年ほどかかりました。これは年に一度ですから、計画的な投稿が必要となります。先行研究についての調査や研究テーマの問題意識を整理したものを取り上げられる方もありました。

2. 論文作成のゲート

埼玉大学経済学部では、博士課程の論文審査のゲートを5つ設けてあります。

  • プロジェクト研究会(10月)――公開
  • 中間報告会(5月)――公開
  • 学位論文提出と合同検討会(10月)――公開
  • 学位論文報告会(12月)――公開
  • 最終試験(2月)――非公開

プロジェクト研究は全体の構成と問題意識を提示します。中間報告会は、論文の主要部分について提示します。

10月の学位論文提出と合同検討会では、主・副の指導教官からの鋭い指摘があります。

この指摘と訂正については、12月の学位論文報告会までに訂正が求められます。最終提出した論文についての非公開の最終試験が2月にあります、この試験は、主・副以外の先生も加わっての審査となります。以上のように上記のゲート(節目)で論文が鍛えられていきます。

3. 論文作成のプロセスの中で

私の場合は、長年勤務した企業の役員を退任した後でしたから、現役バリバリの社会人の方より、時間の余裕はあったと思いますが、順調に進んだわけではありません。エピソードをいくつか挙げてみます。

(1)病気での空白期間

5月、中間報告をした後、病気になり、1か月ほど入院しました。論文作成の遅れもありますが病気による気力の衰えからの回復は一苦労でした。

(2)各ゲートでのゼミ仲間の批評

各ゲートに先立って、ゼミで仲間から、手厳しい指摘を受けます。これをありがたく拝聴して、節目の報告会の前に、論文の修正に反映させました。

(3)担当教官の指導

指導の先生からは、論文作成の基本作法から指導を頂きました。「教授」でさえ、自分の論文作成に10回見直すのに、あなたは、倍以上の見直しが必要とのご指導をいただいたりしました。

(4)勤務企業との論文内容調整

論文の事例内容が、勤務していた企業だったので、企業ビジネスの不都合にならないようにしなければならない。その為、企業の了解を慎重に取りつつ進めました。

(5)自分で論文作成

長年、企業で管理者、経営者を務めていると、口頭指示、箇条書き表現、人任せなどに慣れてしまっています。パワーポイント的箇条書きストーリーと部下や周りの関係者に依存する会社人間体質からの脱却が必要でした。―――文章、それも、主張したいことを相手にわかるように表現することは大変難しく、論文提出後の今でも、出来るようになったとは言えません。

(6)埼玉大学論文作成の作法

論文作成には作法があり、修士の時に、テキストの配布や、講義での指導もありました。学校や学会により、作法の違いがあるようです。早い時期に慣れて、論文の内容の検討にまい進出来ることが望ましく、論文の本旨に関係ないケアレスミスを未然に防ぎたいものです。私は読み返す度に作法の誤りを見つけていました。

4. 時間配分

(1)修士期間は、講義の単位は、土曜の講義を多く取得し、経済学の幅広い基礎知識の取得に努めました。これは、博士論文の内容の深み形成に有効でした。また、客員教授との知己を得ての情報交換は、現在でも貴重な財産となっています。

(2)博士課程必須の特論講座は、私の論文テーマの「ものづくり」関連である「中小企業・企業戦略」を、他のゼミ仲間ともども受講。それ以外に、「グローバル企業、日本経営史」の特論を加えて受講し、テーマ研究を幅広い視点から見ることに役立てることが出来ました。但し、特論講義は少人数の生徒となり、論読宿題は、50~100頁/週となり、この間は、社会人として、時間的に他のことが手につかないことになります。

(3)論文作成のピークは、私の場合は、8月の夏休みでした。家族を田舎に帰省させて、1か月、自宅で籠って、詰めました。7月の途中での進行具合がまずくて、指導先生から、ダメ押しされ、危機感を持って取り組みました。正直、論文完成を断念しようかと、心が折れそうでした。

埼玉大学大学院に博士号取得を目指し、足掛け4年、幾つもの障害がありましたが、今年、何とか博士号を取得することが出来ました。振り返って、家族の理解と応援、先生方の叱咤激励、ゼミ仲間との切磋琢磨、勤務先会社の理解など、みなさんの応援の御蔭と感謝しています。

※修了生の所属先は、原稿作成時のものです

博士後期課程修了生(2015年度)

田中 恒行(日本経済団体連合会)

1. 社会人にとっての博士論文

(1)博士論文とは何か

そもそも「博士論文とは何か」を考えてみます。「博士論文」とは、「学問の世界に対して新たな知見を加えることで当該分野の発展に貢献すること」です。「新たな知見」とは、「当該領域においてこれまで誰も記してこなかった、しかも学問的に価値のある業績」のことを意味します。

社会人が博士論文に挑戦する際に戸惑うのが、ここでいう「新たな知見」と「学問の世界」が意味するものであるかと思います。順番にお話していきます。

「新たな知見」とは、「誰もが経験したことのない自分独自の経験やそれに基づいた発想」であると、社会人は考えがちです。それは「修士論文」のレベルでは十分通用するものもあるかと思います。しかし博士論文で求められるのはあくまでも、「当該学問分野での貢献」としての「新たな知見」です。悪く言えば「自分の経験や思い込み」だけでは絶対に通用しません。そこに「修士」と「博士」の決定的な違いがあります。

社会人の博士(候補者)に求められているのは、「仕事の経験から得られた(専門の研究者では思いつかないような)独自の視点」です。換言すれば「経験そのもの」ではなく、「経験を基に得られた分析のための視点・枠組み」であると言えます。

(2)先行研究の重要性

「当該学問分野での貢献」のためには、自らが書きたいと思う分野で、これまでいかなる研究が蓄積させていたかを知らなければなりません。そのために行うのが「先行研究のサーベィ」です。修士論文でも先行研究の重要性は指摘されたかと思いますが、「新たな知見を加えることで当該分野の発展に貢献すること」が求められる博士論文では、その重要性は格段に高くなります。自分の研究がオリジナルであるか、新たな知見であるかは、先行研究のサーベィ、つまり自分が取り組もうとしている分野において過去にどのような研究があったかを調べることでしか立証できないからです。私も含めて、研究室の同僚の作業を見る中で、博士論文執筆の際に社会人が最初に戸惑うのは、先行研究のサーベィの必要性に対する理解です。「独自の経験と発想を持っている」と自負している社会人の方ほど、この時点での戸惑いは大きいような気がします。

(3) 博士論文を書く際のスタンス

上記のことに鑑みるに、「社会人が博士論文を書く」ということは、勤務・従事している仕事とはまったく別の世界で活動するということを認識しておく必要があります。戦うフィールドは「ビジネスの世界」ではなく「アカデミズムの世界」です。そこで求められる資質は、「社会人大学院の修士課程」とはまったく異なるものであるということを理解した上で、博士課程に入学し、博士論文に取り組むべきかと考えます。

2. 研究の方法

(1)研究会は「道場」

私が所属していた研究室では、通常のコースでのゼミ(修士課程及び博士課程)と、月に2回ほど土曜日に「労働研究会」が開催されていました。私が特に重視していたのは「労働研究会」です。労働研究会では論文の構想段階から具体的な構成や内容まで、できる限り報告することに努めました。馴らしてみれば、半期8回開催のうち、6回は報告していたと記憶しています。

研究会で報告する最大の目的は、指導教授や副査、さらには研究室の同僚から、自分の考え方に対するコメントを頂くことです。コメントを頂くことで自分が気づかなかった論点が明らかになったり、より深く追求すべき方向性が見えてきたりします。自分を鍛えるという意味で、研究会は学問の「道場」という位置づけをしていました。社会人には時間的な制約があるかと思いますが、可能な限り、ゼミや研究会で報告する機会を多く作るべきである、また報告のための準備をする時間を捻出すべきであると私は考えます。他者の客観的な意見を聞くことで、自分の知見も発展させることができるからです。また、博士論文は最終的には世に問うものですので、「ひとよがり」になることは避けるという意味でも、多くの人の意見を聞く機会を積極的に作るべきです。

(2)資料の収集

博士論文執筆に求められる必要資料は、修士論文よりもかなりハードルが上がります。文献資料であれば「これまで研究者は(ほとんど)使用してこなかった資料」、計量分析であれば「今まで使われてこなかった新規のデータ」の使用が求められます。それは「新たな知見」を生み出すために必要な要件であると、アカデミズムでは思われているからです。私の場合は歴史研究だったので、先行研究をサーベィした上で、これまで誰も使用していない資料を、図書館などでこまめに探す作業を3年間続けました。先述のように、博士論文は「自分の思い込み」ではなく、「先行研究を踏まえた、事実に基づいた新たな知見の提示」ですので、よい資料を収集できるかは論文の出来を左右します。この地道な作業を手抜きすることはできません。また必要に応じて、関係者へのインタビューも行いました。参考までに、計量分析を行っていた同級生の研究過程を見ていた感想をご紹介します。計量分析はデータが最重要で、いかに有用な、かつオリジナルなサンプルを入手できるかにかかっています。分析自体は市販の優れたソフトウエアで誰でもできる時代なので、その分、データの重要性が高まっています。データ収集にはかなりのコストと時間を要します。彼等は有用なデータを求めて、日本全国を回っていました。

また計量分析は、「やってみないとわからない」という怖さがあります。そもそもよいデータが集まるか否か、データを集めても分析が仮説通りになるか否か、という意味です。計量分析をやる予定の方は(もし予定年限で修了を希望されるのであれば)、入学前にデータ入手にある程度の目途をつけておくこと、データに基づく仮説検証を思考実験として十分に実施しておくことをお勧めします。

3. 成果発表へのプロセス

(1)論文の指導体制

埼玉大学の博士課程は、1人の主査と2人の副査の3人による指導体制が組まれます。指導体制の編成は、主査との相談の上、入学後早い時期に決定されます。指導の方法は、学生により様々かと思いますが、特に主査とのコミュニケーションを密に取ることが基本であるかと思います。

主査からの指導を通じて、研究の方向性、現状での自分の考え、自分が現在保有する資料の有用性、今後の作業のスケジュールなどを確認し、論文の構想、構成を組み立てていきました。私の場合は主査と副査の1人が労働研究会の主催者であったことから、このような機会は比較的多かったかと思います。

2人の副査の先生方からも、「勉強会」という形で指導を頂く機会を何度か頂きました。あえて主査の先生のいない場で、主査とは異なる視点からコメントを多く頂き、論文の幅を広げるという意味で有用でした。

埼玉大学の先生方は、学生が積極的にやる気を示せば、必ず応えて下さいます。指導体制という面では、理想的な環境であったと思います。

(2)研究成果発表の機会①-課程1~2年

研究成果発表の機会はいくつかの段階があります。

博士課程1年では、学務に関しての公式の行事はありません。主査、副査と連絡を取りながら、資料の収集(図書館めぐり、インタビュー、データ検索、ネット検索など)や収集した資料を基にした論文の構想固め、さらには必要単位の取得に注力しました。先述したゼミや研究会が主たる研鑽の機会でした。

博士課程2年においては、10月に主査と副査による「中間報告会」が開催されます。ここでの目的は主として2です。1つは論文執筆のための本格的な作業を進めるための手順を確認することです。論文作成がスムーズに進むかの成否は、ここの段階で十分な体制を整えることができたか否かで決まると思います。もう1つは、埼玉大学経済学部の紀要である『経済科学論究』への投稿論文についての議論です。投稿論文は、博士号取得のための必須条件であり、同年11月末に締切りを迎えるので、ここで投稿論文の詰めを行います(ただし、すでに学術雑誌に査読付きの論文が掲載されている方は、この作業は不要です)。「中間報告会」はちょうど課程の折り返し点ですので、これ以降、論文作成は本格的な段階を迎えます。

ちなみに、『経済科学論究』は査読付きですので、掲載までに匿名の査読者とのやりとりが、4~5ヶ月程度かかります。査読者の判断によりここで掲載が見送られると、『経済科学論究』の発行は年1回ですので、論文の投稿は1年後にずれ込むことになります。そうなると、博士論文作成に加えて投稿論文作成の作業が加わりますので、3年時での負担はからり増加します。『経済科学論究』への投稿は、2年時で必ず完了させるようにすべきです。

(3)研究成果発表の機会②-課程3年前半

3年時では、学務の体制も論文完成に向けて本格的に動き始めます。

5月には、主査及び副査2名による公式行事としての「打ち合わせ会合」が行われます。その目的は、論文の方向性の最終確認です。2年間で学生が積み上げてきた成果を基にして、論文の全体像を形成すべく意見交換を行います。この場で合意された計画案をもとにして、いよいよ論文作成作業が本格化します。この年の私の夏休みはほとんど論文作成の作業に費やされました。

10月には、主査及び副査2名による第1回の学位論文報告会が行われます。この時点である程度、論文としてのまとまりができている必要があります。主査及び副査からの厳しい質問があり、それらから論文を防御(ディフェンス)しなければなりません。この時点で毎年、数人の脱落者が出ます。私の場合も、「このままでは年度内の提出は無理だ」という厳しい「駄目出し」をもらい、そこから逆転のための必死のドライブがかかりました。

(4)研究者は「方法論」で勝負する

挽回のためにここで今一度、原点に戻ります。社会人が博士論文を書く場合、職業研究者と同じフィールドで戦っても、研究職のような仕事をされている方を除けば、普通の社会人は太刀打ちできないことは、すでに申し上げた通りです。しかし博士の学位は、社会人だからといっても手加減して出してくれるわけではありません。独自のフィールドを社会人としての経験から見出し、新たな方法論を打ち立て、それに基づいてアプローチすることが、社会人が博士論文を書くことの意味です。博士論文を書く以上、社会人も「研究者」であらんとする者です。研究者は理系・文系を問わず、「方法論」で勝負する方々であり、社会人も例外ではありません。

10月の発表会から2ヶ月間、上記のことを徹底的に考え抜きました。「新たな/独自の方法論」と言っても、アカデミズムで勝負する以上、それは既存の研究方法との齟齬があってはなりません。そこで「学術論文の書き方」の本を改めて読み直しつつ、先行研究をさらに詳細に検討しながら、自分にしか言えないこと、できないアプローチは何かを念頭におきつつ、論文の再構成を進めました。

博士論文において最終的に問われるのは、「論文を通じて学問の世界にいかなる貢献をしたか」ということです。その答えを探すために必要な手段が「独自の方法論」です。

(5)研究成果発表の機会③-課程3年後半

12月に学位論文報告会が開かれます。この時点での評価が、修了できるか否かに決定的な影響を与えます。この報告会から、これまでご指導頂いた3人の主査・副査に加えて、「4人目の審査員」が入ります。まさに「第三者」の立場からの審査を頂くわけです。審査は公開で行われ、誰でも参加することができます。

この場で問われるのは、論文中の詳細な疑問点もさることながら、「論文を通じて学問の世界にいかなる貢献をしたか」、つまり「新たな知見を加えることができたか」です。「誰もやっていない新しいことをやった」というのは、一見意味がありそうなのですが、実はそれだけでは博士論文では評価の対象にはなりません。求められるのは、これまでの先行研究を踏まえて、新しい知見を学問の世界に加えることができたか否かということです。試験に通るためには、この問いに答えられなければなりません。

「誰もやっていない新しいことをやった」というのであれば、例えば「海外赴任中に内戦(クーデター)に巻き込まれた」という「経験」をそのまま書けば、「誰もやっていない新しいことをやった」ことにはなりえるでしょう。前述のように、求められるのはそれではなく、そのような「経験」を通じて得た「独自の方法論」に基づく「新たな学問的な知見」なのです。

12月の審査が通れば、翌年2月に「最終口答試験」に進みます。ここでは、12月の検討会で提出された質問や修正点に対する解答が求められますが、やはり最大のテーマは、「論文を通じて学問の世界にいかなる貢献をしたか」です。ここでの意見交換を通じて、「博士論文執筆」という、学問のフィールドで論文を書くことの意味を再確認させられます。その意図は、埼玉大学の博士号授与の基準である「1人前の研究者として自立できること」に明確に示されています。

「最終口答試験」を通れば、その後、3月に教授会での投票が行われます。投票を通れば、博士(経済学)が授与されることとなります。結果はインターネットの学内掲示板で発表され、追って学位授与式出欠の案内が届きます。学位授与式が行われた2016年3月24日は、桜の花が印象的な晴天の日でした。

4. 「学位取得」のその先

学位を取得したからといって、職場で昇進、昇格、異動があったわけではありません。

日本は「学歴重視社会」というよりは「学部偏差値重視社会」なので、特に文系では修士号以上の学位は「学問の世界」を除いては、ほとんど評価の対象とはならないのが実態です。そのような「世俗的な欲望」によって博士論文を書こうとするのは、コスト・パフォーマンスの悪い作業かもしれません。

私自身の博士論文を執筆しようと考えた動機は、1つは「自分のキャリアに対する1つの区切りをつけたい」ということ、もう1つは「目の前に山が見えるから登ってみたい」ということでした。では山に登って何が見えたのか。私に見えたのは、実はいくつかの「別の山」でした。それらはいずれも、私にとっては「登るべき山」に見えます。それらを無視して過ぎ去ることは私にはできそうにないので、今は「新しく見えた山」をいかにして登るかを思案している次第です。

その意味では、社会人でありながら博士論文を執筆しようという方の資質として大事なものは「そこに山があるから登ろう」と考えられることかと思います。たぶん登った先には、いままでに見えなかったものが見えるはずです。私に見えたものは「新しい山」でした。すべての方々にお勧めできることではありませんが、「新しい世界を見たい」「自分がこれまで見てきたことを新たな視点で見てみたい」と思われる方には、博士論文の執筆は挑戦しがいのある試みであるかと思う次第です。

埼玉大学大学院は、そのような方々の期待に応えてくれる体制を整えています。学校選びに悩まれている方は、埼玉大学を1度、何らかの形で訪れてみることを強くお勧めします。

※修了生の所属先は、原稿作成時のものです。

博士後期課程修了生(2014年度)

蔡 玉成(さい ぎょくせい)(中国福建工程学院)

2012年4月に埼玉大学経済学部から埼玉大学大学院経済科学研究科博士前期課程に進学し、伊藤修先生と丸茂幸平先生のご指導の下で中国金融政策について研究しました。2014年4月に博士後期課程に進学し、伊藤修先生、田口博之先生、長島正治先生の下で中国金融政策についてより深く研究しました。2015年3月に博士学位をとり、その後中国に帰国し、同年7月に中国福建省の福建工程学院に就職、貨幣銀行論、財務管理論などの授業を担当しています。

大学院の授業は、埼玉大学の先生はもちろん、財務省や各研究所などから来られる客員教授も担当されています。論文の指導では、主指導の伊藤先生は多くのヒントを教えてくれました。いつも気軽に相談に乗ってくれて、とても親切です。副指導の田口先生、長島先生、丸茂先生も非常に熱心に指導してくれました。田口先生と一緒に一本の英文論文を発表しました。伊藤研究室は月に一回研究会をやっています。研究会での議論は論文の修正などによく役に立ちました。また研究会後の飲み会も楽しかったです。大学院で一緒に勉強している院生の皆さんの多くは各業界の実務経験者なので、日常の交流で大変勉強になりました。大学院は留学生向けの奨学金情報も充実していて、奨学金申請の機会が多くあります。事務係の方も皆やさしくて、留学生の面倒をよく見てくれました。

※修了生の所属先は、原稿作成時のものです。

博士後期課程修了生(2012年度)

孔 繁智

博士課程2009年4月~2013年3月

私は2003年4月埼玉大学経済学部に入学し、学部4年、修士課程2年、博士後期課程4年計10年間埼大に在籍することになります。実は修士課程に進学した際に就職するか、博士後期課程に進学するかで悩んでいました。結果的にどっちもあきらめられず、博士後期課程入学と同時に一般企業に就職いたしました。実務と研究でとてもつらかったのですが、大変充実した4年間でした。

途中で苦しくなり正直何度もあきらめようとも思いました。最終的に1年間延長したものの、やっと卒業まで辿り着きました。ここまで辛抱できたのは指導先生をはじめ、同じ財務管理研究会の先輩、後輩の適切なご指導とご支援があったおかげであります。

仕事で忙しくてしばらく研究会にも出られなかったときは、週末に、何度も指導先生と駅近の喫茶店で指導をいただきました。指導先生はご多忙の中、休日であるにもかかわらず、わざわざお時間を割いていただき、未熟の議論をお聞き、論点を整理し適切なご指導をされました。

そして仕事の都合上、大学の研究資料室に行けない時に、後輩の皆様には書籍貸出・資料収集に大いに協力をいただきました。

ここで改めて感謝申し上げたいと思います。誠にありがとうございました。

埼大院での研究生活を通じて得たものは大きく次の3つに集約できます。

今後は実務経験と研究実績を生かせて未知なる人生を開拓していきたいと思っております。

※修了生の所属先は、原稿作成時のものです。

博士後期課程修了生(2012年度)

酒巻 雅純(東京証券取引所)

博士課程2011年4月~2013年3月

埼玉大学大学院での研究を振り返って

私は、埼玉大学大学院(以下、院といいます)において、研究の機会を得て、指導教授をはじめ多くの先生方、同じ志をもつ仲間などの有形・無形のご支援のおかげで、修了することができました。そこで、これから学問研究を始めようと考えている皆様へ向けて、私自身の院での経験を振り返ってみたいと思います。

まず、研究動機は、自身の社会人としての業務経験(証券市場にかかわる実務)のなかで、「自分なりの問題意識を体系的にまとめてみたい」と考えたからです。この点は、研究を志望される方々に共通する動機であるかもしれません。今でも、入学が認められ、「やるぞ」と(かなり久々に)気を引き締めたことを、埼玉本校の桜の開花とともに鮮明に覚えています。

次に、それでは、なぜ、埼玉大学なのか、と問われますと、いちばんに「仕事と両立しながら研究が可能なこと」ではないでしょうか。その他にも、他の大学院にはみられないメリットがあります。具体的には、このHPに謳われていますので、ご高覧ください。

また、院の大きな特徴は、「論文を執筆して、完成させること」です。学術的に独創的な論文を完成させるという、非常に高いハードルを超えて、成果をあげることが求められます。

だからこそ、院では、これを後押しする研究環境を十分に整備しています。院の開設以来、脈々と、多くの修了生が続いていることは、その証でもあります(しかし、少し小さな声でいいますが、業務の余暇に営々と、学問のフロンティアで徹底的に考えるという難行を強いられますので、最後には気力と体力勝負となりました)。

さて、実際の研究活動の中で、一つだけ申し上げたい重要なことは、ミッションとなる論文完成に至るまでの「自分自身の方法」を確立して、論文執筆を進めたことです(たとえば、定期的に論文の内容を研究会・学会などで報告すると、欠点が発見できるので軌道修正しました)。ここで、私の方法とは、「考える→調べる→書く→考える→調べる→書く→考える・・・」の反復です(したがって、途中で、気持ちが折れそうになることもあります)。結局、シンプルですが、このサイクルを回すことによって、自分の主張したいこと(論旨)を明確化させ、進化させることが分かりました。これが完成論文に至るまでのスパイラル・アップのサイクルでありました。

最後に、今、この「卒業生の声」をご覧になって、「研究を始めようかな」と迷っている皆様に向けて、メッセージを送ります。迷わず、埼玉大学での学びの扉を開きましょう。

ここでの経験が、「自分自身の考え方や行動を変える力」として、必ず、活きてきます。そして、一緒に大きな花を咲かそうではありませんか。

※修了生の所属先は、原稿作成時のものです。

博士後期課程修了生(2012年度)

目 篤(小売事業会社)

博士課程2010年4月~2013年3月

1. 研究をはじめた経緯

私は,40代を前にして,大学卒業後長らく勤めてきた銀行(日本興業銀行,みずほフィナンシャルグループ)での審査・調査部門の業務に忙殺されていました。追われるように携わっていた,会社経営・財務活動と銀行業務について,俯瞰・総括できないかと考え,本学大学院博士前期課程で学びはじめました。そこで経営と財務,経済学全体について新たに学習し,または再考し,「圧倒的な視野の広がり」を経験しました。そして,2010年からは博士課程に籍を置くことを許されました。

2. 大学院での研究の意義

博士課程は,博士論文執筆がほぼ全ての活動です。先生の力を最大限にお借りし,ある意味で一体となり,課題を選び,先行研究を学び,分析を掘り下げ,アウトプットの方法を考えます。これはすなわち,研究者としての取組み方を体で身につけるということだと思います。

社会人の研究テーマは自己の経験に基づくものが多いのですが,学問的な論文は会社での書きものとは全く異質なものであり,一人で学ぶことはできません。研究内容に,注の付け方,引用の仕方,参考文献,目次などの厳しい形式を課すことが必要です。実はこれにより,知見の有機的な繋がり・構造,学問的貢献が発見できるということがあります。

これら過去の知との折り合いの付け方である厳密な形式と,「未知のものを知りたい」という欲求とが噛み合うことによって,一歩進んだ次元に歩むことができるのだと思います。

まさに,「巨人の肩のうえに立つ」という学問の意味そのものを身につけ,結果として論文に結実するわけです。

本学大学院には,高い水準にある研究資料室とデータ・資料収集機能があります。苦しく地道な資料・データの収集なくしては納得性のある研究は進まないのです。さらに,大学内外の各学会・研究会での発表経験と人脈が研究をより深いものにします。研究発表をすることは,日本の「知」全体に対して発言することであり,苦労とともに醍醐味があると思います。

3. 大学院での研究の成果

私はこうした研究過程のさなかに,銀行から小売を中心に営む事業会社への自主的な転職を行いました。しかし,研究を通じて思考と生活の一貫性が強く保たれていました。研究活動が,世の中で力強く生きていくための,まさに「力の源泉」であったと感じています。

大学院には様々な年齢・職業・出身地からなる「同志」がいます。お互いに意見交換し,苦労し,励ましあうところでもあります。私はこの大学院で,先生と仲間,すなわち一生の付き合いとなる人々と出会うことになりました。これがなにより最大の成果です。

私は今後,自ら物事を掘り下げる力を伸ばし,果敢に視野を広げ,職業と研究を通じて貢献したいと考えています。その第一歩を踏み出したという緊張感があります。こうした経験から,多くの社会人が,本学大学院博士後期過程の門を叩くことをお勧めしたいと考えています。

※修了生の所属先は、原稿作成時のものです。

博士後期課程修了生(2012年度)

鈴木 芳治

博士課程2012年4月~2013年3月

ご指導頂いた先生方のおかげで、現職のまま博士前期から後期課程までを修了させて頂きました。嬉しい思いとともに、寂しい思いもあります。私の場合、大学院に入学した目的が、学位の取得のみではなく、研究論文の作成プロセスを堪能することでもあったからです。

仕事との両立という点では、埼玉大学大学院経済科学研究科は「社会人にも」ではなく「社会人のために」門戸を開いている大学院で、教員や事務員の方々も「社会人慣れ」しているので助かりました。社会人には大変に居心地の良い研究環境が提供されています。

仕事に関連して多様な知識の習得が必要で、様々な資格の取得も求められ、それらのために積み重ねてきた知識と経験は、既にMBA型大学院で修得するような内容を含み、実社会での多様な経験から生じる問題意識は、単一の研究領域の枠組みを超えた学際的な研究テーマとなってしまいます。「経済科学研究科」という名称は、そのような学際性の研究を志向する大学院であることを表現しているそうです。学際的な研究論文の作成を指導する体制を整えている貴重な研究科であることが特徴だと思います。

論文の作成では、与えられた課題を解くのではなく、独創性のある課題を自ら見出し解明することが求められるので、その課題を産み出すまでの苦しみが楽しめます。

私の場合、論文を作成するプロセスでは、風邪で1週間寝込んでも期限に間に合わなかった状況で、脳力以上に相当の寝不足にも耐える体力と途中で諦めない気力が問われ、それが明暗の分かれ目でしたから、天運にも恵まれたと感慨無量です。

後期課程(博士)では、博士論文の提出要件であるプロジェクト研究と報告会の実施、学会発表や査読付論文の投稿等の研究実績というものが必要とされるため、これらも計画的にこなしておく必要があります。社会人として日頃鍛えてきたスケジュール管理や根回し等のマネジメントやコミュニケーションのスキルが活かされる局面でもあります。

このような大変そうなことと並行して、先生方や院生(といっても、既にその道の専門家も多い)相互の議論や場外乱闘(飲み会)等の楽しみもあり、利害関係のない"give&take"できる交友は、楽しい時間を与えてくれます。

研究と仕事と日常生活の三方両立は、しばしば困難に直面しますが、それを乗り越えたときの達成感があり、後からまた振り返ると、それが楽しかったと思えます。いろいろな意味で得たものが多く、チャレンジして良かったと実感できるキャンパス・ライフでした。

※修了生の所属先は、原稿作成時のものです。

博士後期課程修了生(2011年度)

植林 茂(椙山女学園大学准教授)

平成24年3月修了

効果絶大!本学での五十の手習い

2012年3月に博士後期課程を修了し、現在は名古屋の私立大学で教員をしています。中央銀行で金融機関の立ち入り調査や役員のスタッフとして金融政策の立案に係る仕事をしていたものの、研究的な仕事の経験がなかった私が専任教員として新たな一歩を踏み出すことができたのは、正に本大学院で学んだ「五十の手習い」のお蔭だと実感しています。

ご存知の方も多いかと思いますが、ある程度の年齢を経てから公募で専任大学教員に採用されるには、専門的な実務知識・経験に加え、最近では、①博士号、②数本の査読(レフェリーのチェック)付きの論文、③教歴のいわゆる「3点セット」が必須となっています。

しかし、社会人を受け入れ、これらの条件を充足させてくれる国立大学(独立行政法人)の経済系の博士後期課程はあまり多くないように思います。私の場合は、2009年に本学に入学、実務経験をベースに課程中に2本の論文を執筆し、さらに担当教授のご紹介を得て2012年に著作を上梓しました。それを機に、某私立大学から非常勤講師のお話を頂くなどして、教歴を積むこともできました。その後、幾つかの大学の教員公募に応募したところ、複数先の論文審査を通り、現在勤めている大学に採用されるに至っています。少子化を背景に大学教員の採用が激減する中、第二の人生として大学教員をできるとは思ってもいなかっただけに、僥倖と評価すべきでしょう。しかし、本学で学び、採用に必要な要件を整えなければ、こうした機会をつかむことができなかったことも、また事実だと思っています。

本大学院は、①利便性の高い場所にある、②仕事と両立して無理なく学習できるプログラムが用意されている、③教員から手厚い指導が受けられるほか、実務経験豊富な周りのゼミ生からも知的刺激を受けることができる、④独立行政法人なので授業料が安い、⑤学位取得の効果が大きい、などの大いなるメリット・魅力があります。ぜひ一度、入学をご検討されてはいかがでしょうか?

※修了生の所属先は、原稿作成時のものです。

博士後期課程修了生(2010年度)

劉 博(KPMG あずさ監査法人ビジネスアドバイザリー事業部 川口短期大学ビジネス実務学科講師)

埼玉大学経済学部で4年間の大学生活を終え、環境負債の財務的影響を研究テーマに同大学の博士前期課程で学び、企業の環境負荷低減対策の物量・財務分析に関する研究をテーマに同大学の博士後期課程を卒業しました。5年間に及ぶ埼玉大学大学院での学生生活を振り返ってみると、今までの人生で最も知的に興奮し成長した5年間であったと実感しています。

まず、多様な視点を持ち合わせ、社会現象を考察する「眼力」を鍛えるには、埼玉大学大学院経済科学研究科は最高な場所だと思います。私は、学術、実務、行政など多分野からなる第一線の教授陣の献身的な講義に刺激を受けながら、優秀な社会人学生・留学生の仲間とのコミュニケーションを通じて新たな視点と考え方を身につけることができ、実り多い5年間を過ごすことができました。

次に、経済科学研究科の学位論文作成支援体制が非常に充実しています。論文指導、研究会、プロジェクト研究、中間報告会など、論文ブラッシュアップのためのスケジュールが綿密に設定され、論理展開および創造的アウトプットを強化するのに最適な環境が揃っていると思います。私の場合は、3名の指導教員の厳しく温かい指導のもとで、研究会・報告会などの機会をフル活用し、研究の問題意識、論理展開とオリジナリティを明確にすることができ、博士(経済学)学位を取得することができました。

また、経済科学研究科の講義は東京ステーションカレッジ(東京駅)とさいたま本校の両方で受講できるところは大きな魅力がありました。私の場合は、働きながら博士後期課程で研究を進めていたため、平日の夜に東京駅で受講でき、論文指導を受けられる便利性に最高に満足していました。土曜日にさいたま本校にある「研究資料室」に訪れ、社史、大学紀要や国内外の雑誌をサーベイし、経済学部研究棟の院生室でじっくり論文を作成していた時間がとても有意義で楽しいものでありました。

最後に、埼玉大学大学院経済科学研究科での学生生活で得た最も貴重なものである「絆」について触れたいと思います。教員と学生との絆、社会人学生と留学生との絆、卒業生と在学生との絆、このような絆があるからこそ、多様な視点を持ち合わせ、社会現象を考察できる「眼力」が養え、学問と実務とのコラボレーションが実現できるのです。私はいまでも毎月指導教員の研究会を参加し、研究科の先生方、先輩、後輩とコミュニケーションを図り、研究をより高いレベルに進めています。「一生勉強」、埼玉大学大学院経済科学研究科はその言葉を私の座右の銘とさせた場所であります。

※修了生の所属先は、原稿作成時のものです。

博士後期課程修了生(2007年度)

大江 清一(埼玉学園大学特任教授)

2008(平成20)年3月 埼玉大学経済科学研究科博士課程後期修了

私が夜間に開講された本学の経済科学研究科博士課程前期に入学したのは2003年4月、定年までわずか5年余りを残す50歳を越えた時のことでした。さらにその後、博士課程後期に進学し、学位を取得したのは金融機関を定年退職するわずか1か月前のことでした。

第二の職業人生を大学教員として研究と教育に従事したいと考えていた私にとって、定年までに残された5年間で、大学教員になるための必要条件である博士号を取得するには、博士課程前期への入学はまさにギリギリのタイミングであったわけです。本学では計画通り学位を取得することはできましたが、すぐに大学教員となることなく、しばらくはメーカーに籍を置きながら、他大学で非常勤講師を5年間務めました。

第二の職業人生に対する希望を抱きながら、重責を担う立場にあるために、具体的な行動に踏み切れないで悩んでおられる方は多くいらっしゃると思います。

その場合は、可能な限りたくさんの時間をかけて、自分の将来に対する希望がどの程度真剣なものであるかを振り返ることをお勧めします。特に第二の職業人生に対する自身の希望が何歳の時に芽生えたのか、そして、5年の間、博士号取得に向けて時間をかけることにより失うものがあるとすれば、学位取得によって得るものがその喪失を埋めて余りあるのか否かを冷徹に見つめるべきであると思います。

何歳の時に希望が芽生えたのかを重視するのは、それによって現在所属する組織での活動にかける意欲の強弱が明らかになるからです。また、得失を冷徹に判断することは、将来選択するキャリアパスに対して決して後悔することがないようにするためです。つまり、冷徹な計算に裏づけられた確固たる信念があって、はじめて具体的な行動がその実を結ぶのではないかと思います。

私は遅まきながら積年の希望がかない、現在は、埼玉県内の私立大学で特任講師として経営学を教えています。

大変なロートルではありますが、大学教員という激務に耐えられるのも、自分が本当にやりたかったことができているという実感と、日々の充実感があるからだと思います。50歳を越えたあの日、本学への入学を決断して本当によかったと感謝しています。

※修了生の所属先は、原稿作成時のものです。

博士後期課程修了生(2006年度)

神津 多可思(リコー総研所長)

2008(平成20)年3月 埼玉大学経済科学研究科博士課程後期修了

平成19年3月修了

最近「シンギュラリティ」という言葉を目にすることはないでしょうか。特異点という意味の英語ですが、現在のスピードで人口知能の能力が向上していくと2045年には人間の頭脳の能力を超えると言われていて、その時点を指す言葉として使われています。

それを脅威と捉えるかどうかは人によって違うでしょうが、人工知能がそこまで発展すると、世界は相当変わってしまうでしょう。ちょうど自働の強力な機械の出現によって、人間や牛馬の力でやっていた作業が仕事としてなくなってしまったように、現在、私達が頭を使ってやっているかに思える作業を人工知能がやってくれるようになるはずです。

例えば、私達は「判断の余地がある」ということを良く言いますが、その判断とは実はいくつかの選択肢があってそのどれに該当するかを決めるということを指す場合が多いのではないでしょうか。そのような意味での「判断」というアクションは、選択肢が非常にたくさんある場合であっても、きっと近い将来、人工知能の方がうまくやれるようになるでしょう。そういうパターンの人間の頭脳の働きは、結局、人工知能には適わないように思われます。

ところが、人間社会の判断については、これまでになかった選択肢を考え出すということも含まれます。専門家に言わせれば、それとて人口知能ができるようになるということのようですが、少なくともそれにはもっと時間がかかるでしょう。そういう技術進歩の中で、私達は自分自身の「考える」という行為をどう受け止めるか。そして考えているからこそ存在している「私」の存在をどう受け止めるか。そういう問題意識が湧いて来ませんか。

経済学には、もちろん実学としての有用性もあります。しかし、これから数十年でその有用性の一定部分は人口知能が担ってくれるようになるでしょう。

しかし、そうなっても、考える私が居て、そしてその私は何を考えるのか。人間としての頭脳の働きをさらに次の次元に持っていくために、考えるというアクション自体を鍛える必要があると思います。

人間社会の多様な出来事を経験したことのある人であればあるほど、それを材料にして頭の「考える」機能をさらに飛躍させることができるはずです。一見、頭を使っているかのように思えても、それが結局は単なる場合分けの判断であれば、それはきっと人工知能に取って代わられてしまいます。人間でなくてはできない頭の働きを鍛えるためには、じっくり考える機会をたくさん持つ必要があります。

私自身を振り返っても、ともすれば慌しさに流され、考えているようで実は考えていない毎日でした。そんな中で、大学院で学ぶ機会を得たことで、じっくり考える訓練ができた気がします。そしてその経験こそが、脳の機能はその後さらに劣化しているのですが、それにも関わらず、今でも何か新しい発想へと自分を導いてくれているように感じています。この技術革新の時代にあって自己の存在意義を確認するためにも、じっくり考える機会を集中的に持たれてはどうでしょうか。それが、今、私が大学院での勉強をお勧めする所以です。

※修了生の所属先は、原稿作成時のものです。