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研究トピックス一覧

常識外の分子:二重芳香族化合物の創製に成功(大学院理工学研究科 斎藤雅一教授)

2018/9/28

1.ポイント

 ・ベンゼンの特異な性質を説明する芳香族性は一般にπ軌道により形成される。
 ・π軌道からなる芳香族化合物は今日の物質科学を支える重要な化合物群の一つである。
 ・σ軌道によって発現する芳香族性の例は極めて限られている。
 ・一つの分子内にπ軌道およびσ軌道からなる芳香族性を同時にもつ分子の合成および構造決定に成功。
 ・この新しい電子の非局在系の誕生は物性化学の新しい学理をもたらすだろう。

2.概要

 ベンゼンに代表される芳香族化合物は今日の物質科学を支える重要な化合物群の一つである。この特異な性質は芳香族性とよばれ、化学の重要な基礎概念の一つとなっている。この芳香族性をもたらすのは(4n + 2)個の環状に配置されたπ電子であることがわかっている。従って、これまで化学の世界で芳香族性というと、それはπ電子によって引き起こされるもの、と考えられてきた。最近、π軌道に限らず、環状に配置されたσ軌道に(4n + 2)個の電子が収容された場合でも芳香族性が発現することが明らかになっている。つまり、原理的にはσ軌道およびπ軌道からなる芳香族性を同時にもつ化合物があり得る、というわけである。このような対称性の異なる軌道による二つの芳香族性―二重芳香族性―をもつ化合物について、理論的な予測はあったが、室温で安定な化合物として合成・単離し、その性質を解明する実験的な研究は極めて限られていた。今回、対称性の異なるσ軌道およびπ軌道から発現する二つの芳香族性を同時にもつ、二重芳香族分子の合成に成功し、二重芳香族性の性質を理論および実験の両面から初めて明らかにした。本成果は、2018年8月30日、Natureの姉妹誌であるCommunications Chemistry誌に受理され、9月27日に掲載された。今回の基礎学術的知見は,新しい電子系構築のための重要な基礎学理になるだけでなく、その電子系の性質を活かした機能性物質への展開を可能にする新しい学理に繋がることが期待できる。

3.研究の背景

 19世紀半ばに発見されたベンゼンはC₆H₆の分子式をもつ分子であるが、当時この分子式に合わせて構造を考えると、二重結合と単結合が交互に存在する構造が考えられたが、この構造ではベンゼンの性質を説明できないことがわかってきた。その研究により、ベンゼンの骨格を構成する炭素―炭素結合は全て等しい長さで、単結合と二重結合の中間の長さであることがわかった。このような構造はそれまでに知られておらず、そのほかにもベンゼンが示す反応性も含めて、ベンゼンの特異な性質は「芳香族性」によるもの、と説明されるようになった(図1左)。今日、ベンゼンに類似した芳香族性とは、1)(4n + 2)個の環状に配置されたπ電子の存在、2)構造の平均化、3)外部磁場を印加するとπ電子による反磁性環電流が発生する、4)対照となる非環状構造にくらべて熱力学的に安定、という性質を併せもつ状態である、と考えられている。つまり従来の芳香族性とはπ電子により発現する性質であり、いわば「π芳香族性」とよぶべきものである。このようなπ芳香族化合物は今日の科学技術に欠くことのできない化合物群であり、機能性物質や薬剤の構成単位として重要な役割を果たしている。

図1 芳香族性の起源となる軌道対称性とσ+π二重芳香族性のイメージ

 一方、電子はπ電子にかぎられるわけではなく、σ電子もある(電子が占有される軌道の対称性で分類される)。したがって、σ電子による芳香族性―σ芳香族性-は発現するのかどうか、という疑問が湧いてくる(図1中央)。このような観点からの研究は、最近活発になっており、様々な遷移金属を骨格に含むσ芳香族化合物が報告されている。
 次なる疑問は、σ軌道およびπ軌道からなる芳香族性-σおよびπ二重芳香族化合物―を同時にもつ化合物が存在するかどうか、ということである。この疑問に対して、理論計算によりσおよびπ二重芳香族性を有する仮想分子が設計された⑴。その後、これに類似した化合物が合成され、後の理論計算により、その二重結合性が提唱された⑵。しかし、σおよびπ二重芳香族性を実験的に詳細に検証することは困難であった。
 このような背景の下、本研究では新たなσおよびπ二重芳香族化合物として、ヘキサセラニルベンゼンジカチオンを設計した(図2左)。この分子は、中央のベンゼン環がπ芳香族性を発現し、その周縁部に存在する6つのセレン原子官能基が形成するσ軌道に10個の電子が収容されるので、σ芳香族性も発現すると予想した。今回、ヘキサセラニルベンゼンジカチオンを合成・単離し、その電子状態を実験および理論の両面から調べた結果、この分子がσおよびπ二重芳香族性を有することを明らかにした。

4.研究内容

 斎藤グループのこれまでの検討で合成方法を確立している化合物⑶-ヘキサセラニルベンゼン-を出発原料とし、これを2当量のニトロソニウムヘキサフルオロアンチモナートで酸化したところ、対応するジカチオンを単離することに成功した(図2右)。分子構造の決定手法として鍵となる単結晶X線構造解析にも成功し、得られたジカチオンが芳香族化合物に特徴的な構造平均化された分子構造を有することを明らかにした。中心の六員環には結合交替がなく、ベンゼンとしての性質を保持していることがわかった。また、周縁部のセレン-セレン間の距離はほぼ等しく、芳香族化合物に特有な構造平均化が観測された。つまり、10個のσ電子から構成されるσ芳香族性の発現が示唆された。

図2 出発原料の分子設計(左)とσおよびπ二重芳香族性を有するジカチオンの合成(右)

 実験化学的に決定した目的分子の構造を基に分子モデルを組み、そのモデルについて量子化学計算による考察を行った。ジカチオンの磁気的性質に着目すると、外部磁場の印加によって6つのセレン原子が形成するσ軌道から芳香族化合物に特有の反磁性環電流が生じることがわかった。理論計算から導かれたこの磁気的性質は、実際に合成した化合物を使った測定実験からも裏付けられた。ジカチオンの固体状態での¹³C NMRを測定したところ、中心のベンゼン環炭素に由来するシグナルが、中性分子のそれに比べて高磁場領域に観測された。これは、6つのセレン原子から構成されたσ軌道によって生じた反磁性環電流により、中央のベンゼン環炭素が遮蔽されたため、と解釈できる。つまり、ジカチオンの磁気的性質は、実験と理論の両面からσ電子によるσ芳香族性を発現していることを示している。
 最後に、芳香族化合物に特有な芳香族安定化エネルギーを見積もった。σ芳香族性を有するジカチオンにおけるセレン-セレン相互作用のうち、一つの相互作用が失われた構造(つまりσ芳香族性をもたない構造)の不安定化エネルギーがσ芳香族性による安定化エネルギーと捉えることができる。これは8 kcal/molと算出された。
 以上のような考察により、ジカチオンは芳香族化合物に特有な三要素をσ軌道から構成される部分においてもπ軌道にから構成される部分においても保持している、つまり、σおよびπ二重芳香族性を有した化合物である、と結論付けることができた。

5.今後の展開

 セレン-セレン間の相互作用によりσ芳香族性が発現したので、このσ電子の性質を活かした新しい機能性物質への展開が可能になると期待される。特に、この非局在系とベンゼン環状に存在するπ芳香族系の両方を活かした磁気応答や電場応答が興味深い。

6.原論文情報

Furukawa, S.; Fujita, M.; Kanatomi, Y.; Minoura, M.; Hatanaka, M.; Morokuma, K.; Ishimura, K.; Saito, M. "Double aromaticity arising from σ- and π-rings", Communications Chemistry, DOI: 10.1038/s42004-018-0057-4(オープンアクセスジャーナル)

7.参考文献

(1) Chandrasekhar, J., Jemmis, E. D.; Schleyer, P. v. R. Tetrahedron Lett. 1979, 20, 3707–3710.
(2) (a) Unverzagt, M., Subramanian, G., Hofmann, M., Schleyer, P. v. R., Berger, S., Harms, K., Massa, W.; Berndt, A. Angew. Chem., Int. Ed. 1997, 36, 1469–1472; (b) Hofmann, M.; Berndt, A. Heteroatom. Chem. 2006, 17, 224–237.
(3) Saito, M.; Kanatomi, Y. J. Sulfur Chem. 2009, 30, 469–476.

8.用語解説

σ軌道:結合軸に対して対称な軌道
π軌道:結合軸に対して一つの対称面もつ軌道
反磁性環電流:外部磁場を印加された芳香族化合物に特有に存在する。芳香環の外部領域は磁気的に反遮蔽され、内部領域は遮蔽される。
NMR:核磁気共鳴スペクトルのこと。外部磁場を印加すると、磁場に向きに応じて核のもつエネルギー準位が分裂する。その準位間の吸収を観測する。

9.問い合わせ先

埼玉大学 大学院理工学研究科
担当教員 斎藤雅一
TEL 048-858-9029 / FAX 048-858-9029
e-mail: masaichi@chem.saitama-u.ac.jp

10.参考リンク

Double aromaticity arising from σ- and π-ringsこのリンクは別ウィンドウで開きます