最近の科学技術の劇的な進展と、その成果を社会実装した際に社会に及ぼす(ときには負の)影響の大きさを目の当たりにすると、科学技術と社会との関係を改めて省察し、新たな時代に求められる科学者・技術者像を再考する時期を迎えているように感じます。人工知能(AI)の技術は車の無人自動運転、物流の効率化・省力化、医療現場での画像診断や遠隔手術、創薬、社会インフラの維持管理などを支える一方で、フェイクニュース・フェイク動画の作成、AI利用のサイバー犯罪や自律型AI 兵器(LAWS)の開発にも使用されています。iPS細胞の研究はこれまで治療が難しかった重篤な病に対する治療法や治療薬の開発に貢献する一方で、今や受精の過程を経ずにヒトの受精卵に似た「胚モデル」を人工的に作成できるレベルに達しています。山中伸弥先生も述べているように、倫理的な議論を少しでも早く社会全体で準備しておかないと科学技術の方が先に進んでしまう可能性さえあります。一言で「科学技術の成果を社会に実装する」と言っても実はそれほど簡単なことではなく、実装に伴う社会的影響の予測・評価、市民社会の理解度・受容度の向上、法の整備、社会制度の設計、政府・自治体・企業・一般市民などの倫理・規律に基づく活動の活性化などが同時に進むことが求められ、これら全体に対する科学者・技術者の積極的な関与・支援が強く求められる時代を迎えています。     

 こうした背景をベースに、2022年度に埼玉大学大学院理工学研究科は博士前期課程(修士課程)の改組を実施しました。自然界の真理を探究する基礎研究から科学技術の成果を社会課題の解決に利活用する応用研究に至る多様な学術分野をカバーする従来の教育・研究体制を一層強化するとともに、新たに専攻共通の融合教育プログラム「地球環境における科学技術の応用と融合プログラム」を設置し、また、意欲のある学生は専門に依らず、誰でも履修できる学部・修士6年一貫型の3つの副プログラム「イノベーション人材育成プログラム」、「データサイエンティストとしての素養を備えた理工系人材育成プログラム」、「ハイグレード理数教育プログラム(HiSEP-6)」 を導入しました。これらの教育の一部には民間企業からお招きした「実務家教員」にも参画いただき、社会の現場で現在進行形で進められている科学技術の利活用の状況をリアルタイムで学生に伝授いただいています。私たちは、新たな教育・研究体制のもと、自らの専門分野を深堀するとともに、高い倫理観を備え、研究成果の意義や影響をわかりやすく市民社会に伝え、研究を通して培った論理的思考、証拠に基づく思考、批評的思考を駆使して広範な分野に及ぶ様々な立場の人々を束ね、リードする役割を果たせる科学者・技術者の育成を目指しています。 

 

理工学研究科長 重原 孝臣