ソフト・ローの国際社会における役割
社会、司法、グローバル、文化、教育
  PROFILE 研究者総覧
山本 良
教養学部 教授

経 歴
1981年 国際基督教大学教養学部卒業
1988年 東京大学大学院政治学研究科修士課程修了
1993年 東京大学大学院政治学研究科博士課程修了
1995年 宮城教育大学助教授
2001年 埼玉大学教養学部助教授

著 書
『講義国際法(第2版)』(共著):有斐閣2010年
『国際法(第2版)』(共著):有斐閣2010年
など

グローバル化時代の国際社会をどう生き抜くか 〜複雑に変化する法のダイナミズム〜


 国際社会を構成する主要なメンバーは、今日においても国家です。その国家と国家の関係を規律するルールの総体が、国際法です。国際法は、具体的には条約と慣習国際法から構成されています。条約には、日米安保条約のような二国間条約もあれば、国際社会の多くの国々が加入している多数国間条約もあります。また、慣習国際法は、通常は全世界の国々に適用するものと考えられています。
 しかし、現実の国家の行動を規律するものはこれだけではありません。国際社会で実際に機能しているルールは、実はもっと多様です。たとえば、第2次世界大戦末期に採択された大西洋憲章(1941年)やカイロ宣言(1943年)などは、いずれも条約ではありませんが戦後の世界秩序を形成する上で極めて大きな役割
		
を果たしました。また、より最近の例では、日中共同声明(1972年)やヘルシンキ最終議定書(1975年)も、非常に重要な合意でありながらいずれも条約ではないのです。

 こうした文書は、近年まとめて「ソフト・ロー」とよばれるようになっています。そして、私の研究は、こうしたソフト・ローが国際社会においていかなる役割を果たしているか? また、ソフト・ローが時間の経過と共に条約や慣習国際法に姿を変えることもあるのではないか? さらに、今日のグローバライゼーションの時代においては、ソフト・ローは条約とともに働くことにより特異な存在理由をもっているのではないかというなどの点を検討することを中心としてきました。

PROCESS

  1. 1.先行研究や国際裁判の判決などを通じて、ソフト・ローの存在し機能している状況の発見
  2. 2.ソフト・ローの文言や、ソフト・ローが機能するための具体的条件の定式化
  3. 3.従来の議論の再検討
  4. 4.国際社会における「合意」のあり方の多様性の模索

現代国際法実現過程におけるソフト・ローの機能

■ 国際秩序を守る国際法の模索


 紳士協定といわれるものは戦前から存在してきた(例:石井・ランシング協定)。これらは、主として二国間で機能する。
 また、第2次大戦後に国連が創設され、国連総会は拘束力ある決議を採択する権限を持たないものの、比較的初期から国際法の原則を一般化可能な形で宣言する決議を採択してきた。
(例:世界人権宣言(1948年)、植民地独立付与宣言(1960年))
 これらは、慣習国際法を宣言したり、やがて慣習国際法の形成に結びつくものと考えられた。とくに、第3世界諸国は、国連総会決議を通じて既存の国際法を修正したり、新たな国際法を形成しようとしてきた。いわば、国連総会を「世界議会」(World Parliament)として用いようとした。
 さらに、1960年代後半ないし70年代からは、多国籍企業の行動指針(Code of Conduct)や、先進諸国間における貿易摩擦をきっかけとした市場秩序維持協定(OMA)などが締結されるようになった。これらは、国際経済関係においてではあるが、現実の国家の行動や企業の行動に対して非常に大きな影響を与えていた。

■ ソフト・ロー論の登場


 国際司法裁判所も、1971年のナミビア意見において、慎重な表現ながらも国連総会決議の法的な意義をみとめた。また、1986年のニカラグア事件では、いくつかの国連総会決議が慣習国際法の成立要件の一つである法的確信を示すものとして言及された。
 こうした諸々の事情を背景に国家間関係を規律しているのは条約と慣習国際法だけではなく、それら以外にも、法的拘束力は持たないものの重要な合意があることが認識されるようになった。このような背景からソフト・ロー論が登場していく。
 もっとも、ソフト・ローが機能するための要件や環境を定式化することは容易ではない。なぜならば、ソフト・ローが多義的で非常にバラエティに富んでいるからである。しかし、二国間で機能する非拘束的合意(Non-Binding Agreement)のようなも


のであれば、それは通常の条約とほとんど変わらずに機能するといえる。日中共同声明はその例である。
 また、国連総会決議のようなものの場合、通常はそれが慣習国際法に取り込まれて機能することが期待される。したがって、その場合には、予め慣習国際法を宣言するという意図をもって決議が採択されるとか、採択状況がコンセンサスによる全会一致であるとかそれに近い圧倒的多数により採択されたものであることが必要である。
さらに、国際経済関係などにおいては、専門性・技術性を背景として当事者の意思をいかに十分かつ正確に反映しているか、それが文言に表現されているかが重要な点であるといえる。

■ 遵守過程に焦点を当てた研究


 1990年代以降、こうしたソフト・ローに関する議論は再び盛んに行われるようになっている。
 そこでは、従来のマクロ的なアプローチとは異なり、よりミクロな視点、すなわち国家やNGO、そして私人がいかなる形でソフト・ローを遵守(comply)しているか、という点に焦点があてられるようになってきている。
 そこでは、今まで顧みられなかったような非常に専門的な分野に関してまで詳細な研究が行われている。さらに、従来の議論ではソフト・ローが直線的に慣習国際法の形成に結びついたり、慣習国際法の証拠として機能するということが暗黙の前提であったが、そうではなく、現代国際法過程のより複雑で、統合的な過程においてソフト・ローの果たしている役割に焦点があてられるようになってきており、筆者が昨年秋の国際法学会で行った報告もまさしくこの点を取り上げたものであった。

■ 「国際社会における合意は、国家により形成される。」という命題は今なお妥当するか?


 少なくとも、20世紀の終わりまでは、そのように述べて全く差し支えなかった。しかし、1998年に採択された国際刑事裁判所(ICC)規定の採択に当たってはNGOが非常に大きな役割を果たし、その結果「条約の締結は国家により行われる」という命題はもはや妥当しなくなったと欧米の教科書は指摘している。しかし、日本の教科書ではまだこうした指摘は皆無であり、それは問題である。

 現代の国際法過程をリアルに見てみると、そこではソフト・ローが非常に大きな役割を果たしており、その点は今までは十分に捉えられていなかった。もはや、条約と慣習国際法だけを見ていれば十分であるとは、到底いうことができない。そこで、こうした点を踏まえたうえで、国際関係における「合意理論」の再構築を行うことが求められているのである。

《例1》


 世界貿易機関(WTO)協定を構成する合意の一つである衛生植物検疫の適用に関する協定(SPS協定)は、国際的な基準として食品規格委員会(Codex Alimentarius Commis sion)の採択する基準に準拠することを規定しているが、食品規格委員会は政府間の国際組織ではない。つまり、SPS協定という条約が、国家間の合意ではなく、専門的機関が採択する基準に依拠することをあらかじめ了解しているのである。
 また、国連海洋法条約は海洋汚染の防止に関して船舶の国籍国や沿岸国などが法令を制定することができることを規定するが、こうした法令は「権限ある国際機関または一般的な外交会議を通じて定められる一般的に受け入れられている国際的な規則および基準」に従うべきこと求めている。こうした国際機関としては、国際海事機関(IMO)が想定されている。こうしたやり方は、変転著しい国際関係に対して条約の改正という方式でなく対応するために編み出されたものである。いずれにせよ、これらの機関が採択する規範的性格をもつ文書は、条約や慣習国際法ではない。つまり、ソフト・ローであるが実際には非常に大きな意味をもっている。

《例2》


 世界銀行(World Bank)が職員向けに内部的に採択した業務政策(Operational Policies)も、先住民(Indigenous Peoples)の権利や国際環境法の展開にとって非常に大きな影響を与えてきている。
 こうして、非常に専門的技術的性格の強い機関が採択した規範的性格をもつ文書や、もともと国際組織内部的なもの対外的に公表を予定していなかったようなものが、実際には国際法の展開過程に大きな影響を及ぼしているのが現代の特徴であるということができる。

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